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第11回 事例で学ぶ物流改善:『中堅運送会社A社の不器用な経営改革』

最大の荷主が契約の見直しに着手した。同社向けの売り上げの半分を失った。壊滅的な打撃だ。経営を立て直す人材もノウハウも社内には存在しない。そんな中堅運送会社A社から改革の依頼が舞い込んだ。2代目の副社長をリーダーとする不器用な改革が始まった。


主要荷主が契約見直し

関西を地盤とする年商約11 億円の中堅運送会社A社は、車両約120 台を保有し、メーカーの長距離輸送を中心に事業を行ってきた。A社の創業者でもある社長は地元の有力者であり、各協会・組合の理事も務めている。社外活動が多い社長を副社長である息子がよくフォローし、A社を支えてきた。
運送会社のトップが協会や組合等の重要ポストにつくと、社会的な信用が高まる反面、自社内に目が行き届かなくなりがちだ。A社の場合は副社長がしっかり経営の手綱を握ることで難を逃れてきた。ところが、そんなA社に突然の危機が訪れた。
A社の売り上げの約半分を占める主要荷主の自動車部品メーカーB社が、協力物流業者との契約見直しに着手したのだ。しかもB社が、最初に着目したのがA社との関係であった。
「長い付き合いのA社のやりたい放題になっているのではないか?」。新任の物流部長はそんな疑いを持ったようだ。しかし私から見れば、メーカーB社が協力運送会社に「やりたい放題させている」というのが実状だった。
B社に限ったことではないが上場企業の物流部長はとにかくよく異動する。平均2年〜4年で他部署へ異動か、あるいは定年で退職してしまう。実際、生産畑20年という人材は存在しても、物流畑20年という人材は希だ。そのため物流部門にノウハウが蓄積されない。昔からの現場を知るものもいなくなってしまう。
一方、協力会社のA社はメーカーB社とはと20年来の付き合いである。初代物流部長の名前から、センター移転前の物流現場の隅々まで知っている。そんな環境では協力会社が現場の主導権を握るのも当然といえる。とは言え、お金を払うのは荷主である。荷主には逆らえない。
メーカーB社は以前から営業に来ていた中堅物流会社C社に事情と情報を流し、提案書と見積書を出すように依頼した。乗り換えの準備だった。新規獲得に積極的に動いているD社もそこに加わった。
こうしてA社、C社、D社の3社による荷物獲得競争が勃発した。困り果てたA社の社長から私に電話があった時には、すでに手遅れの状態だった。

出来レースの物流コンペ
メーカーB社が目論んだシナリオは以下の通りであった。

① C社に安い運賃を提示させることで、他の2社にも運賃交渉に参戦させる。
② C社への見返りとして全業務の半分を委託する。残り半分をA社とD社でバランスをとらせる

いわば出来レースだ。それでも私はA社の担当者と提案書を作成。競争できる見積書を提出し、2回に及ぶ交渉を行った。しかし、奇跡は起こらなかった。引き継ぎ期間は1ヶ月。シナリオ通り、西日本以西の配送はA社からC社へ移管されることになった。
A社はメーカーB社の売り上げの半分を失うことになり、壊滅的打撃を受けた。そこからA社の本格的なコンサルティングが始まった。
副社長が陣頭指揮をとることになったものの、社内にはこれといった人材もなくテクニックもない。不器用な経営改革の始まりだった。
第一弾はA社名古屋営業所の業務改善だ。B社は自動車部品メーカーとして、トヨタ自動車の地元である名古屋地域の輸送ではトヨタ式のジャスト・イン・タイム物流が求められていた。調査開始から30分も経たないうちに驚くべき事実が発覚した。日報がないのである。
運行日報も作業日報も、誰も書いていない。問題は所長にあった。現場を管理する立場にある所長が自分でフォークリフトを運転している。結局、その所長は午前中の出荷が終了する9時まで無言でリフトを乗り続けていた。その間、所長の口から指示命令の言葉は一切、出ない。朝の点呼やミーティングもない。社歴の長いこの所長は、昔からこのスタイルであったそうだ。「俺の背中を見て仕事を覚えろ」の典型的な“職人型所長”であった。
同社に限らず社歴の長い所長には、こうした職人型が多い。その理由は以下の通りである。

(1) 会社の成長スピードに自己の成長が追いつかない
(2) マネジメントというものを教えてもらったことがないし、覚えるつもりもない
(3) そもそも管理職になるつもりでこの会社に入ったのではない

関西を地盤とするA社の経営陣の目が名古屋営業所に向いていなかったことも原因の一つである。信じられないことに、経営陣は名古屋営業所を訪れたことがないという。中間管理職任せだったのである。「物流会社は所長産業」が私の持論である。とくに現場の運営は所長の能力で90%以上が決まってしまう。それを証明するような現場であった。
現地調査から私は「在庫管理の徹底と情報の数値化」を改善テーマに据えることにした。詳しくは以下の通りである。

『在庫管理の徹底と情報の数値化』
(1)ロケーション管理
① 棚番地の整備
② ピッキング方法の見直し
③ ピッキングリストの変更
④ 棚卸し方法の見直し

(2)出荷ミスの撲滅
① 出荷ミスの徹底分析 (原因の究明)(対応策の検討)
② 作業員評価制度の再点検
③ 作業マニュアルの作成

(3)作業効率の向上
① 在庫ABC分析の実施
② ロケーションの変更
③ ピッキングリストの変更

(4)物流情報サービスの実施
① 需要予測(営業所〜ユーザー)
・ 欠品の防止
・ 当日中継貨物の削減
・ 在庫削減
・ 出荷調整(工場から営業所)
② 在庫ABC分析
・ デットストックの削減
・ 補給部品の一括管理
・ 効率的ロケーションの設計最初に「在庫管理」に注力した。

上のアプローチで徹底的に改善した結果、出荷ミスは65%減少した。この活動を通して、寡黙にリフトに乗り続けていた所長から指示・命令が出るようになったことも嬉しい変化だった。
さらに名古屋営業所の今後の展開として副社長に「改善イメージ」(図1)を提示することができた。 最初に「在庫管理」に注力した。上のアプローチで徹底的に改善した結果、出荷ミスは65%減少した。この活動を通して、寡黙にリフトに乗り続けていた所長から指示・命令が出るようになったことも嬉しい変化だった。さらに名古屋営業所の今後の展開として副社長に「改善イメージ」(図1)を提示することができた。

2003年11月■中堅運送会社A社の不器用な経営改革●図①

荷主に却下された改善活動
改革の第2弾はメーカーB社の物流に精通しているA社が主導して、B社の物流改善を実施するというものであった。まず「共同改善提案書」の作成に取り掛かった。提案書の作成自体はスムーズに運んだ。しかし、改善を具体的に実施するのは容易ではなかった。改革の着手から1週間すると荷主からストップがかかった。
B社の物流担当者が「これはA社の仕事ではない、改善書は自社で作成する」と我々に伝えてきた。協力物流会社に主導権を取られることを嫌ったのだ。珍しいことではない。能力や経験のない荷主の物流担当者からすれば、協力会社にアイデアとしての提案はして欲しい。しかし、口と手は出して欲しくない。「改善案さえあれば、後は自力でどうにでも実行できる」というプライドが見え隠れしていた。
こうして結局、第二弾の改善は頓挫することになってしまった。改善を実施すれば大きな成果を上げる自信があっただけに悔やまれる。ところが、その直後、A社とメーカーB社の関係は突然の好転を見せた。
西日本以西のメーカー配送を出来レースによって獲得した中堅物流会社C社が「この料金では運営できない」と音を上げてきたのだ。C社に移管前、A社は荷捌きと保管作業の負担を運賃の中で吸収していた。しかしC社は6ヶ月間にわたって試行錯誤したものの採算を合わすことができなかった。慣れは財産である。
A社が長年培った業務の慣れとノウハウをC社が短期間で真似することは不可能であった。このような状況から、荷主のB社もC社への委託は無理と判断した。結局、B社の配送の大半はA社に戻った。決して自力とは言えなかったが、結果としてA社はピンチを脱することができた。ちなみにB社では、会社幹部へコストダウンの報告をしていた物流担当者が、改革のヒーローから一転して責任を問われる立場に追い込まれてしまった。
「物流会社を料金だけで決めてはいけない」。これは改善屋の鉄則だ。無謀な値下げには必ずリバウンドがくる。
しかも当初の2〜3ヶ月は影をひそめているが、6ヶ月〜1年経過した頃に発症するからたちが悪い。

2003年11月■第11回●中堅運送会社A社の不器用な経営改革●図
さてA社。業績好転の波に乗ったところで着手した改善第三弾は、地元関西営業所の業務改善であった。関西営業所のセンター内はパート・アルバイトを含め6人。主要荷主2社の保管・流通加工・入出庫を行っていた。
A社は2年前にも自力で業務改善を行っており、その検証作業から入った。業務の役割分担は明確化され、重複業務の発生などは減少し、業務効率は向上していた。人員の見直し等によるコストダウンは既に限界に達していた。次善の策は熟練スタッフの能力が活かせる付加価値のある流通加工業務を受託し、固定費を吸収していくことであった。つまり営業強化である。

2003年11月■第11回●図②
センタースタッフと個人面談し、現状のヒアリングを行うことから着手した。2人の役職者は共に職人型であった。一般社員とパート・アルバイトは従順な指示待ち作業員であった。
全体的に売り上げに対する意識や改善意欲は全く見られなかった。以下は、診断結果の一部である。

1.企業力評価(定性診断)
◎非常に良い 〇良い △普通 ▲やや難あり ×劣る
(1)ビジネスモデル 他社がまねできない商売の仕組み (▲)
(2)情報 量・質・ネットワーク (お客様の役に立つ)(▲)
(3)社員 社員自身 (△)
(が持つ技術・人間性)
(4)社内体制 安定経営・役割・組織・評価制度等 (〇)
(5)経験・歴史 長い期間で培った経験則、失敗成功体験 (◎)

打開策として以下の通り提示した。打開策として以下の通り提示した。
① 社内環境の変革
② 自社の置かれている環境の継続的な理解
③ ②に基づく短期的な目標設定と追跡
④ 実行が評価される制度づくり
⑤ 荷主・ネットワーク企業との緊密な現場交流
現場ノウハウでは以下のような結果となった。

2.ノウハウ評価(定性判断)
(1)ローコスト 他社と同じ仕事をさせたら、明らかに その運営コストが安価である(△)
(2)技術の特殊性 他社にはおいそれと真似ができない技術上の特殊性が、提供するサービスを実現する上で必要である (▲)
(3)企画展開力 他社と同じ情報を持っていても、それを社 内で変換し、役に立つ情報に加工・展開 することができる(▲)
(4)安定力 定型化・汎用化された業務内容である提供品質が一定している (〇)
(5)危機回避力 経営上、もしくはお客様にとってリスクの高い行為を察知し、回避することができる (▲)

診断結果を総括すれば、関西営業所には「目的なき多忙感」が出ていた。A社は「優秀な人材とそれを受け入れる体制(制度)がない」物流会社の典型だった。
人材か体制、どちらか一方にでも力を入れなければ必ず負け組に入ってしまう。これに対する改善策として、私が提示したものは以下の2つである。

① 経営幹部自らが方向性と目標を示す
② 次世代リーダーを育成する意識で現場を動かす

最終的に、「改善実施項目と優先順位」を次のようにまとめた(図3)

2003年11月■図③
STEP1の実務手順は、
「① 経理・財務データを収集、分析を行う」、
「② 管理者を招集し、現在トップ幹部が感じている問題点、課題の把握する」、
「③ 現場業務内容、営業活動の再評価」
「④ 現状を正確に把握した上で3ヶ年計画の素案の作成する」
というものだ。
そしてSTEP2は、
「① 人事評価制度の見直し」、
「② 業務管理方法の変更」、
「③ 人員の再配置」、
「④営業担当者の活動拠点変更(本社→関西営業所)」。
さらにSTEP3として、
「① リーダー、中堅幹部の選定と育成」、
「② 各種制度の運用」、
「③ 仕事に人がつく環境づくり」、
「④ 提案営業の実施」
という手順を踏んだ。
我々は2年間でSTEP1〜STEP3の70%を具現化できれば合格と見込んでいた。
そして2年後、私は改めてA 社を訪問した。ほぼ目標に近いかたちで改善は進行していた。しかし、目標はあくまで最低ラインである。私の満足には達していなかった。同社の飛躍を妨げていたのは社内の対立だった。
副社長である社長息子と古参役員の意見がしばしば対立し、経営幹部が一枚岩になっていない。また社長が経営実務を副社長に任せっきりにしていることも問題として残ってしまっている。
元々、社内に危機意識が薄いうえに、一度は失ったメーカーB社の業務が戻ってきたことで、いらぬ安心感がはびこってしまった感もあった。
物流会社は今日、トップの「率先垂範」の力量が問われる時代を迎えている。規模の大小にかかわらず、トップの努力と能力が会社の生死を決める。経営陣の意識が変わらなければ会社は変わらない。そのことをA社の副社長は1年後に肌身に染みて感じることになった。
それから約1年が経過した段階で改めてA社から私に声がかかった。依頼内容は荷主別対応策の抽出と営業人員の教育であった。関西営業所の改善時に入社したK氏とベテランM氏を営業担当とし、営業力の底上げを行うことによって全社的な活性化を狙うというものだ。2 人ともに副社長期待の人材である。
この2人と定期的に会い、状況報告と対応策の決定を行うこととなった。キックオフから大きな課題があった。彼ら2人は営業担当ながら現場で欠員が出たときのピンチヒッターとして現場業務にもあたっていた。営業専属として機能してはいなかった。そのために担当荷主の情報収集が全くできていない状態にあった。営業担当2人には営業に注力してもらう。それが副社長の意向だった。そこで私はまず
(1) 現場社員定着に向けた人員の棚卸しと一部業務のロケーション化
(2)「カスタマーカード」による主要荷主の情報収集に注力した。
これを徹底するのに2ヶ月強を要した。その後、ようやく本テーマに入ることができた。しかし、いっこうに成果が出ない。それどころか、決めたことが前に進まない。考えた末、副社長に了解をとって営業担当2人を会食に誘うことにした。ところが、楽しいはずの宴は悲劇の舞台となった。腹を割って話したことで分かった。
2人はA社における自分の将来を描けずにいた。そして2人の言葉からは目標や向上心のかけらも感じられなかった。期待の人材だっただけに、話を聞いた副社長は愕然としていた。営業には「企て」ができる人材が必要だ。また改善には目標達成意欲と、それを「やりがい」と感じる人材が重要になる。そして彼らに方向を指し示すのが経営陣の方針や、将来ビジョンだ。
経営者のビジョンと人材の育成があれば、どんな会社でも勝ち組に入れると私は信じている。しかしA社の場合、社長の経営関与の低さ、副社長と古参役員の社内対立などによってA社全体の力が内に向いてしまっていた。中間管理職社員や、現場の社員にA社の進むべき方向を明確に指し示してやれなかったことが、改善策を講じても思うような成果をあげられなかった原因であった。
もう一つの反省点として、問題が発覚してから、場当たり的に我々のような外部スタッフを活用したことで、改善が後手に回ってしまったことも上げられる。外部スタッフの継続的な活用によって課題を一気に改善してしまえば、問題が大きくなって明るみになってから青い顔をして駆け込んでくるという事態には陥らなかったはずだ。
A 社はこれまでのところ運良く売り上げを確保することはできているが、このままでは今以上の成長は見込めない。A社の副社長は、そのことに自らが期待する営業担当2人の実状から気づくことができた。
A社の改革はいまだ途上にある。しかし、まず改善すべきは経営陣と気づいたことで、新しい成長の芽が既に育ってきていると私は評価している。