Top > 雑誌寄稿 > 第18回 事例で学ぶ物流改善:『物流起業家の挫折と成長の物語』

第18回 事例で学ぶ物流改善:『物流起業家の挫折と成長の物語』

脱サラして運送業を創業した若手起業家。自らハンドルを握るドライバー兼社長として出発し、「物流業はサービス業」という信念の下、徐々に事業を拡大させてきた。しかし売上高10億円を目前にして成長の壁に直面する。創業以来の右腕が退社したことで、社長として改めて会社の存在意義を問い直す必要に迫られた。


大手メーカーを脱サラ

物流会社M社は10年余り前に創業した物流ベンチャーだ。創業当時、S社長は28歳という若さだった。学校を卒業して大手住宅設備メーカーに就職。6年間のサラリーマン生活を経て脱サラしたのであった。創業当初は実質的に前職の大手住設メーカーの専属会社という状況であり、S社長が自らハンドルを握っていた。
年商1億円強、車両10台まで到達した頃に転機が訪れた。右腕となる人材が育ったことで、S社長は現場から離れて営業に専念できるようになった。「ドライバー」から「営業マン」への転身である。
私がS社長と出会ったのは、この頃であった。メールでの問い合わせをきっかけに実際に会うことになった。
初対面のS社長の印象はまさに現場ドライバー。真っ黒に日焼けしていた。野球の名門校出身というS社長の、創業から現在までの経緯をうかがい、これから何をしていきたいのか、ざっくばらんに話し合った。S社長の話を聞いて、私は物流業界に新しい世代が確実に育ってきていることを実感した。S社長は“運送業”ではなく“サービス業”としてM社の経営を考えていた。
M社のドライバーには運送会社出身者がいなかった。ドライバーは様々な業種から集まってきているが皆、サービス業の基本ができている。そのため荷主や納品先から、挨拶ができる、マナーが良いと評判が高かった。そういう人を採用してきたのだ。M社がサービス業を「前提」にしているという所以である。
また、M社はドライバーといえどもパソコンを使えるのが当たり前だ。実際、入社間もない新人ドライバーからベテランまで全員がパソコンによる月報を作成していた。月報の一番下には納品先の現場で職人さんから出た要望や意見などを書き込む欄がある。この内容を荷主に定期的にフィードバックしていた。「現場の生の声が聴ける」と評判であった。
「物流業はサービス業である」と唱え続けて10年以上になる。しかし市場の実態を見る限り、物流会社の意識に大きな変化があらわれているとは言えない。経営者の考え方は変わっても現場が変われない。ところがS社長を筆頭とするM社は真にそれを実践しようとしていた。

ダイレクトメールで荷主開拓
しかし、いくら志が高くても、ビジネスを拡大させるには、その「サービス」を理解してもらえる荷主が必要である。
私とS社長は効果を出せる営業方法とそのための営業ツールの作成から取りかかることにした。当時のM社は、基本的な営業ツールといえる「①ホームページ」と「②会社案内」自体が、かなりお粗末な出来だった。まず、それを作り替えた。次に「③ダイレクトメール」を作成した。ただし営業マンはS社長一人。訪問できる件数は限られている。
送付先はM社の得意とする住設関連を中心に、またエリアに関しても、せっかく問い合わせいただいたお客様をお断りすることのないよう、厳選して絞り込んだ。S社長と相談の上、ダイレクトメールの第1弾として66通を送付した。我々の常識からすれば少なすぎる数だった。
これまで我々が手掛けてきた案件では、ダイレクトメールは1000通単位で送付するのが常だった。
平均的なレスポンス率は1%前後。そのうち50%が受注までこぎ着けるというのが、これまでの実績であった。
66通という少量送付には一抹の不安があった。しかし、不安は取り越し苦労に終わった。送付後1週間で6件の問い合わせがあった。そのなかでぜひ話を聞きたいという会社が4件あった。S社長は積極的に日程調整し、4社を訪問した。運賃相場の情報を知りたいだけという“冷やかし”が1件あったが、
残り3件は前向きに物流会社を探しているようだった。とりあえず見積書を提出するところまで進んだ。
仕事柄、私は全国各地の物流会社経営者と話をする機会が多いが、「今時、新規荷主は会ってもくれない」、あるいは「こちらから営業に出向くと逆に運賃を叩かれる」など前時代的なセリフを口にする
経営者がいまだに珍しくはない。
そういう発想から脱却できない運送会社は、既存荷主の要望を全面的に聞き入れ、運賃交渉で値下げされて採算が合わなくても対応していくしか道がなくなる。つまり“業者化”するしかないことを知るべきだろう。
さて、M社の見積もりに対して、最初に中堅木材卸会社の配車担当者から具体的に今後の進め方を詰めたいと連絡が入った。それまでこの会社は協力物流会社4社と取引していたが、配車担当者は各協力会社の業務品質に疑問を感じていた。そこにM社からのダイレクトメールが届いた。ダイレクトメールは社長から配車担当者に回され、問い合わせ→見積もりというアクションにつながった。
M社には強みがあった。メーン荷主である大手住設メーカーの業務を請け負っているという実績が
“ブランド”として利用できたのだ。
「あそこの物流をやっているのであれば品質は安心」という評価が得られた。これが中堅木材卸会社の案件でも活きた。この中堅木材卸会社はチャーターで2tロング車を1台導入することを決め、その3ヵ月後には2台目の車両を投入することになった。
今では同社の委託車両12台の内、10 台をM社が担うまでになっている。朗報はさらに続いた。結局、ダイレクトメールをきっかけに見積もり提出まで至った3社すべての業務を受託することに成功した。これによってM社は、空き車両になっていた4台をフル稼動させることができるようになった。

ドライバーに名刺セットを配布
新規の現場対応が落ち着いた2ヶ月半後、S社長と次の営業活動について話し合った。「この調子で新規が入れば現場品質が落ちるかもしれない。また、増車のための資金も必要になってくる。しかし、そうした課題は工夫によって解決できるはずだ。それよりも全社的に一丸となって営業活動をしたい」
というのがS社長の想いであった。
私は我々の長年の願望であった営業ツールをM社に導入することをS社長に提案した。長年の願望とは、「④ドライバー用名刺」である。なんだと思われる方も多いだろう。今時、大学生でもサークルの名刺などを持っている時代である。実際、名札や車両にネームプレートを付けている物流会社は珍しくない。しかし、私に言わせれば、それはあくまで荷主から「見てください」の姿勢である。
我々が提唱する「サービス業」は自らPRする「見てもらう」である。「見てください」とは大きなギャップがある。ドライバーやスタッフたちが名刺を持つことによって社名と名前を覚えてもらう。M社の場合は全ドライバーの名刺を作成した。もっとも作成したのは良かったが、誰も名刺入れを持っていない。そこで社長はポケットマネーで全員に名刺入れをプレゼントした。
こうしてM社のドライバーは「④ドラーバー用名刺」と「②会社案内」をセットにして住設部材の納品先で職人さんたちに配って回った。次第にドライバーは名刺を渡すことが喜びとなり、新たに刷ってもすぐなくなってしまうというドライバーも出てきた。M社の事例から、私はドライバー名刺には予想外のメリットがあることも教えられた。「名刺を持つことで、ドライバーたちが自分の仕事に誇りを持ち始めた」というのである。また「子供たちにお父さんの仕事を伝えることができました」といったドライバーもいた。名刺は営業ツールであると同時に、ドライバーのモチベーションツールにもなっていたのであった。
この「④ドライバー用名刺」は受注に対して即効性はなかったものの徐々に現場職人の間に浸透していった。配布活動開始からほぼ半年が経った頃、大手キッチンメーカーの営業部長から1本の電話が入った。「オタクのことをあるところから聞いた。ついては相談したいことがあるので一度会いたい」という話であった。誰もが社名を耳にしたことのある大手メーカーだ。
S社長は喜びと期待に胸をふくらませ会談に挑んだ。「Y社(大手住設メーカー)の仕事を請け負っているんだってね。今度うちで新しい取り組みをするのだが、S社長のところで検討してもらえないかね」と、メーカーの営業部長。
具体的には配送、搬入から施工までを一括して対応できないかというものだった。M社としては、配送、搬入そして簡単な取り付けは経験があったが、「施工」は未知の世界であった。しかし、先方は施工の技術自体は必要ないという。「施工会社を紹介するので全体で管理してもらえれば良い」というのであった。
S社長は紹介された施工会社の社長との話し合いを重ね、業務の一貫性が取れるまでの合意を取り付けた。幸い、施工会社の社長にも、ひとまわりほど若いS社長の熱意が伝わったようだ。こうして、新たな“受注ブランド”となり得る大手キッチンメーカーの仕事がスタートした。
M社は忙しい日々を送っていた。車両も足りなくなり、4台増車した。2台はリース、2台は借入れによるキャッシュで購入。ドライバーの採用にも奔走した。M社の“サービス業”に合うドライバーは簡単には見つからない。求人誌、ハローワーク、紹介などあらゆる手段を使って、なんとか集めた。

物流業の成長の壁
大手キッチンメーカーの業務を請け負ってからも現場品質向上に注力しながら、平行してダイレクトメール営業、ドライバー名刺活動を続けた。
こうしてM社は成長軌道に乗った。売上規模、保有車両台数、ドライバー数とも順調に増加していった。看板も新調することにした。そしてついに売上高7億円、車両58台という規模になり、零細企業から中小企業に脱皮したのであった。
一般的に物流会社は10億円、30億円、60億円、100億円という段階でそれぞれ成長の壁にぶつかる。実際、各段階の手前で停滞する会社が多い。ヒト、モノ、カネ、情報ノウハウそして何よりも経営トップの能力が会社の成長についてこれないためだ。
具体的には「10億円レベル」では営業力のパワーアップが必要になる。「30億円レベル」では所課長の成長が課題になる。さらに「60億円レベル」は資金調達。「100億円レベル」になると、サービス・業務の創造による脱・物流業の実現が求められるようになる。
また、人材の確保については、「60億円レベル」で人材の量と質、「100億」で適正な配置がカギとなってくる。これまで順調に発展してきたM社も、売上高10億円を前にして閉塞感が出てきた。
直接的な課題は「ヒト」と「カネ」である。
このうち「カネ」は地銀から売上2ヶ月分のコミットラインを取り付けるに至ったが、問題は「ヒト」であった。組織を統制するには一般に7人に1人の割合で管理者が必要になると言われる。しかしM社の場合はS社長の右腕以外に幹部が育っていなかった。現場スタッフやドライバーを育てることには一応の手応えがあったが、中間管理職と経営感覚を持ったコア人材が不足していた。もっとも、このようなM社の課題は大半の物流会社いや会社一般に共通した悩みだとも言えるだろう。
私が駆け出しの頃、(今も駆け出しであるが・・・)ある物流会社の社長から聞いた話を思い出す。「青木君、会社の発展は創業の3〜4年でどれだけ優秀な人材が集まるかで決まってしまうよ」。至言だと思う。
創業メンバーはお金がない、仕事がない、知名度もない、信用もない、というなかで寝食を忘れて働いた経験をトップと共有している。しかし創業から4〜5年を過ぎて入社してきた社員は、そうした経験が育んだ価値観を、言葉としては理解できても実感はできない。どうしても温度差が生じてしまう。M社も同様であった。
今や社員のほとんどが、ハンドルを握るS社長の姿を見たことがない。いかなる会社であっても「2:6:2の原理」は絶対に崩れない。2割は元々優秀な人材、6割は研修などの刺激により成長する人材、残り2割は「猫に小判」でどうしても変われない人材である。会社の発展は最も構成比の高い6割の人材をどのように導き、モチベーションを上げ、意識とスキルを向上させるかにかかっている。
また、この6割の人材は一時的にモチベーションが上がっても、そのまま放って時間が経てば、元に戻ってしまうという特性を持っている。教育・育成の観点からは「継続する」ことが重要である。

創業以来の右腕を失う
中間管理職および経営幹部をどうやって育成するか。M社の場合は外部から採用する道を選んだ。S社長の「時間がない」という意向を重視した判断だった。
物流業界専門の人材紹介会社を活用して中間管理職の候補者の選定を進めた。10 人程の履歴書が送られてきた。そのうちS社長の目に留まったのは中堅物流会社出身の所長経験者と上場物流会社出身の本社管理経験者であった。
紹介会社のカウンセラー同席のもと、2人の面接を行った。S社長はそのうち中堅物流会社出身者が気に入った。その候補者自身もS社長に魅力を感じたようだった。現場見学と業務説明を行うために再度来社してもらった。そこで待遇面も合意し、正式に採用となった。
こうして「中間管理職」の空席は埋まったが「経営幹部」の採用は更に難航した。結局、幹部の採用は時間をかけて長期戦で臨むことにした。新たに採用した中堅物流会社出身者は前職での経験をうまくM社に注入した。これが刺激になって次第に社内の閉塞感は薄らいでいき、徐々に新たな社風が形成されつつあった。
S社長にも笑顔が戻った。相変わらずトップセールス体制は続いていたが、まだ営業責任者を採用して
経費を吸収できるレベルではなかったため我々も静観することにした。
こうして創業から10年が経った。継続的な営業が実を結び、荷主数は創業当初の5 倍の15 社に増えていた。売上高も10 億円が目前となった。ここで普通であれば第1ハードルの「壁」が目の前に立ちはだかるはずだが、M社の場合は「営業力パワーアップ」はクリアしていた。私から見ても住設分野に特化したサービスを強みとするM社の営業力には20億円クラスのパワーがあった。しかし、M社は別の壁に直面した。
ある年の冬のボーナス支給後、右腕である幹部から「辞職願」が提出された。晴天の霹靂であった。詳しく話を聞くと彼は「長年M社で勤めてきましたが、私はまだ若いので新しい自分を見つけてみたい。
転職にはラストチャンスと思い、決心しました」とのことだった。
最近の転職者はよく勉強している。転職情報誌や転職サイトの普及によって、一昔前とは情報量が格段に違う。優秀でかつ若い人材は自分の労働価値をいろいろな角度で測ることができる。自分の勤めている会社が世間的に良い会社かそうでないかを判断する材料も豊富だ。物流会社に限らず魅力的な会社づくりは優秀な人材を確保し、戦力として働いてもらうためには欠かせないテーマとなっている。
S社長はショックを隠せなかった。げっそりした顔で完全に落ち込んでしまっていた。創業者にとって創業メンバーとの別れはいかなる理由であってもつらいものである。
我々は気持ちを切り替えて次のアクションを考えた。右腕の退職のことも含め、M社に何が足りなかったのか。何が「壁」だったのか。答えは「将来ビジョン」であった。キーマンが退職すると、多くの採用担当者は「我が社に優秀な人材がこないのは給料が安いからである」と考える。それは間違っている。
現に我々のクライアント(物流会社)でも給料は安いが優秀な人材を獲得している会社は少なくない。
結局、トップの魅力と将来ビジョンの中身に若い優秀な人材は集まるのである。パソナグループ南部代表の言う「この指とまれ」である。
面接というものをはき違えている会社も多い。「求職者を選抜する」のではなく「自社が選抜されている」事実を先ず認識しなければならない。とりわけ中小企業の場合には、トップ自ら面接官になり、ビジョンを語り、自社をPRすることがいかに重要な業務であるかがおわかりいただけると思う。M社の場合、S社長の魅力の部分はクリアしている。「将来ビジョン」がなかったのである。

経営ビジョンがなぜ必要か
こうして我々はM社の「将来ビジョン」を明文化することになった。といっても「将来ビジョン」はトップの頭の中と心にある。我々のようなコンサルタントが口を挟むようなものではない。しかし、将来ビジョンという言葉にS社長は腰が引けてなかなか中身が出てこない。そこで我々はマトリクスを作成した。
縦軸に「やっていること」「やれること」「やりたいこと」「やってはならないこと」。横軸に「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」「会社」「組織」「他」というフォーマットを作った。そして、このマトリクスを埋める形でS社長にインタビューしていくことにした。
我々が数社の事例を挙げ、これというものをチェックしてもらいながら、S社長の考えをマトリクスに埋め込んでいった。
こうしてマトリクスを作成したが、ビジョンは社長が自分の言葉で語らなければ血の通ったものにならない。
S社長に自分の想いを整理してもらいながら、その後数回の話し合いを持った。わずかな期間で全ての欄を埋めることは不可能だったが、主要な部分、何をやりたいか、将来どれくらいの規模を想像できるかなど、できるところから決めていった。
物流会社の場合「業務の委託を受ける」という商売上の特性の影響もあるのか、自ら打って出る戦略や方針というものが欠落していることが多い。システム開発やセンター設立といった事柄を戦略として掲げるのがせいぜいである。しかも、これらの事柄もあくまで荷主の要請・依頼を「受けて」のことである。業界の体質そのものが受け身になっている。だからこそ、将来ビジョンや方針戦略といった能動的な考えとアクションが活きてくるのである。
M社のS社長は未完成のまま将来ビジョンを片手に、多くの社員と対話した。社員からも「いずれは名古屋にも拠点がほしいですね」というような意見が出てきた。
こうした社員との対話を通じて、S社長は社員の目線から会社を「診る」ことの重要性を感じていった。
右腕が退社して6ヵ月後、再び私はM社を訪れた。朝早い時間だったため、出発前のドライバーや本社スタッフが数人事務所にいた。何か雰囲気が変わった気がした。S社長と荷主からの問い合わせについてやり取りしている若手がいる。彼は退職した幹部の部下であった。生き生きと仕事をしている。私はこのことをS社長に伝えた。
S社長はこの若手をまもなく部長に昇格させるつもりだという。右腕幹部の退職直後は会社にとって大きな打撃であったが、現在では次の若手が頭角を現し、その穴をほぼ埋めかけていた。総じて会社は、ある一定の規模と人材がいれば自然治癒力が働く。M社もそうであった。
ポストがヒトを創る。優秀な志の高い社員には仕事を任せてその責任を与えるべきだ。多少の失敗は「教育費」として織り込んでおけば良い。直近の決算でM社の売上高は12億円に達した。ようやく10億円の壁を破ることができた。M社は平均年齢30才という、まだ若い会社だ。今後のM社の発展は将来ビジョンの完成と若手の活躍にかかっている。
会社というものはヒトに始まり、ヒトで発展していくしかないのである。
2004年6月■物流起業家の挫折と成長の物語●図①