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第55回 事例で学ぶ物流改善:『30代物流起業家の地道な経営』

チャンスに果敢に挑み、規模の拡大を図るだけが経営の正解ではない。慎重に石橋を叩き、時には成長に目をつぶっても安全を優先する‟守りの経営”も、有効な選択肢の一つだ。中堅以下の物流会社にとっては、むしろ後者の経営スタイルから学ぶことのほうが大きいのかも知れない。


寡黙な若手起業家
関東に拠点を置く物流会社M社は今年で創業九年目を迎えた。大手電機メーカーに勤めていたS社長が脱サラして創業したオーナー企業だ。
弊社日本ロジファクトリー(NLF)とは5年前にコンサルティングに入って以来の付き合いになる。
物流会社におけるヒト、モノ、カネ、そして情報など、経営全般にわたって指導させてもらっている。
一連の改革の一部は本連載でも過去に紹介したことがある。
S社長は学生時代に叔父の経営する物流会社でアルバイトをしていた頃から物流業経営に大きな関心を持っていた。
27才になった時、思い切って会社を辞め、現在のM社を興した。叔父の経営する物流会社の下請けや前職の大手電機メーカーの仕事からスタートし、少しずつ業務領域と荷主の数を増やしてきた。
現在の年商は約2億七7000万円。2トントラックの箱車・平ボディ車を中心に約25台の車両を所有している。
5年前は年商1億8000万円だった。売上規模は増加しているが、収支は創業以来トントンで推移している。
これまで幾度となく利益を出すチャンスはあったが、結果に恵まれず、内部留保を積み上げるには至っていない。
業務が安定し、従業員も定着した。そこに売り上げの増加が重なった時、誰もが「さあ利益が出るぞ」と楽観的な先行きを期待する。
しかしそんなタイミングで突然、事故や燃料費の高騰をはじめとする経済要因の変動など、不可抗力が発生する。これはM社に限らず、経営の常というものであろう。
それでもS社長はひたむきに、当たり前のことを当たり前のこととしてコツコツと継続してきた。もともと寡黙であり、朴訥とも言えるキャラクターである。
「上場を果たす」「トップになってみせる」「業界を変える」といった高い目標を設定し、夢とビジョンで周囲を巻き込んでいくようなタイプではない。斬新な経営戦略とも無縁だ。
そんな若手物流起業家のこれまでの歩みについて、今回は筆を走らせてみようと思う。
創業から現在までの九年間には様々な出来事があった。最も大きかったのが「ヒト」の問題だ。
一時は創業メンバーが次々と退職するという事態にも見舞われた。とりわけ将来の右腕として期待し、役員に登用するつもりだった人材に辞められてしまった時には、端から見ていても分かるほどS社長は大きな精神的ダメージを受けていた。現場スタッフの定着にも手を焼いた。
各種社会保険や福利厚生制度の整備の遅れに加え、非効率な業務システムとその場凌ぎの社内ルールが原因で、優秀なドライバーの離職が続いた。
結果として荷主に迷惑をかけることになり、何度も大手荷主に頭を下げに足を運ばなければならなかった。
現在も人手不足の点では苦労している。それでも携帯電話を使った求人広告など、採用を工夫し、労務管理制度や従業員教育に力を入れて、労働力の確保を図っている。
同時に人材面での裏付けのない無理な業務拡大は避け、安定稼働を重視した慎重な経営を貫いている。
 「モノ」の点では随分と前進した。創業時点の保有車両台数は5台。免許取得に必要な最低ラインでスタートした。
そこから1台ずつ車両を増やしていき、ちょうど10台に達した頃に、既存荷主からの依頼で保管業務を開始した。
当初の倉庫面積は約100坪。そこに最近3PL会社からの下請け案件が加わったため、管理面積は約500坪まで拡大した。ただし全て借庫。リスクを避けて、可能な限り資産は持たないようにしている。
その他、既存荷主から製品回収の相談を受けたことをきっかけに産業廃棄物輸送の認可を取り、昨年は労働者派遣事業の認可も取得した。
売上規模は着実に拡大している。取り扱い貨物量が増加し配送網が密になってきたことで、最近は小口でも採算が合うようになってきた。
しかし、本社事務所は創業時と同じプレハブ二階建てのままだ。会社の看板も小さな表札が掛けてあるだけ。味も素っ気もない。地図を頼りにM社を訪れたものには、どこに会社があるのかよく分からない。実は私が初めてM社を訪問したときがそうだった。
そのため「建物はともかく、せめて看板ぐらいはお客様が来た時に分かりやすいものに換えましょうよ」と私が指摘すると、S社長はすぐに同意し、立派な看板を作成した。地味な経営とはいってもケチではない。必要なものにお金を惜しみはしない経営者なのだ。
そこで問題になってくる「カネ」が三つ目のテーマである。創業間もなくM社は資金繰りに窮した。融資を受けようと都市銀行を訪ねたが門前払いであった。あらゆる経費を切りつめ、最後はS社長の給料を減額して何とか難を乗り切ったという。その話を聞いて私は金融機関との付き合い方をアドバイスした。
年商一億円〜二億円規模の企業にとって、都市銀行は給料の支払いや得意先の入金などに使用する窓口
という意味しか持たない。もっと格下の金融機関から付き合いを始めるべきだ。
具体的には、国民生活金融公庫→商工中金→信用組合・信用金庫→地銀→都市銀の順番で、売上規模の拡大に合わせてメーンとする金融機関をステップアップしていけばいい。
アドバイスから2カ月後、S社長は本社近くの信用金庫に足を運び、当時の約2カ月分の売上高に当たる2500万円の融資枠を獲得した。といっても、いきなりプロパーの取引が成立したわけではない。
初回は信用保証協会経由の融資である。それを完済することで実績を作れば次はプロパーで取引ができるようになる。
資金繰りに余裕ができると、M社にとって最も重要な設備である車両の購入でも選択肢が広がる。一般に車両の購入には現金、手形、クレジット、リースの4つの方法がある。
物流会社の多くは、車両の購入には手形を用いて、現金は当座の資金繰りに回している。しかし信用力のないM社の手形では、それまでディーラーがウンと言わなかった。
もちろん1台700万円の現金を支払うだけの余裕はない。仕方なくリースを使っていたが、ディーラーに足元を見られ、リース率は高めに設定されていた。
それでも車両がなければ商売にならないため、提示された条件をのむ以外になかった。信用金庫の融資枠ができたことで、資金繰り表やバランスシートを見て、現金で購入するかリースかを状況に応じて選べるようになった。
ディーラーの選定にも知恵を絞った。不祥事を起こした某トラックメーカーを狙った。メーカーの信用が下がれば当然、値崩れが起こる。
もちろん品質に問題があれば購入を避けるしかないが、「問題になっているのは大型車だけだし、昔は戦車を作っていたくらいのメーカーだから大丈夫だろう」と、そのディーラーから2トン社を買い叩いて購入している。
こうしてヒト、モノ、カネの改善を進めると同時に、「情報」についても力を入れている。M社には事務の専門職が一人もいない。その代わり全てのドライバーが自分でパソコンを操作する。ドライバーだからといって「僕はパソコンが苦手なんです」は一切許されない。
ドライバーには業務日報を、控え室に備え付けのパソコンを利用して、その日のうちに入力・作成することを義務づけている。従来の手書きから、即日かつ同一フォームの情報入力に切り替えたことで業務日報に関わる事務作業を軽減し、スピーディな請求書発行を可能にした。

潰さない経営
 このようなS社長の経営は、「伸ばす経営」というより「潰さない経営」だと言える。その理由を以下に列記する。

(1)無理な業務拡大は行わず、若干の増員で対応できる業務のみ受託し、品質の安定を最優先している。
(2)借り入れは五年前の一度だけで、その後は新たな借り入れを行わず、キャッシュフローを確実に回している。
(3)ドライバーの品質と教育に力を入れ、良い仕事をすることが最大の営業であるという原則を貫いている。
(4)執拗な値引き要請を行う新規、既存荷主との取引は行わない。
(5)売上増加イコール車輌の増車では経営を維持できないと判断し、労働者派遣によるフィールドサービスなどを実施、会社の実力に見合った業務サービスと付加価値づくりに努めている。
(6)間接人員いわゆる事務スタッフを抱えない。電話対応や配車は、電話転送機能を利用。日報管理と請求書発行は管理職リーダーが業務終了後に行う。もちろんS社長の日曜出勤による事務処理はしばしばある。S社長はプレイングマネージャーであり、フルタイムではないがハンドルを握ることも多い。
(7)接待は行わない。誘いにも応じない。
(8)新たな展開や投資を伴う課題は慎重に検討し、石橋を叩いても渡らないこともしばしばある。
(9)S社長自身、良く働き、朝一番に出勤することで会社の秩序を守っている。
(10)社長といっても派手な振る舞いはせず、質素な生活を守っている。

普段からS社長は余計なことは一切しゃべらない。客先や社員の前で出来ないことを約束したり、大口を叩いたりもしない。ポーカーフェイスでありながら、たまの休日には趣味のサーフィンを社員たちと一緒に楽しむ。そんな社長である。
S社長を見ていると、物流業という縁の下の力持ち的な地味な業界には、派手っ気のない経営者のほうが向いているのかもしれないと思えてくる。S社長は現在、36才。これからも経営者として多くの苦悩と喜びを味わうことになるに違いない。それでも寡黙で物静かな表情で地道な経営を行うスタイルは恐らく継続されていくであろう。そうあって欲しいと私は思うのである。