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第85回 事例で学ぶ物流改善:『リーマンショックがくれた贈り物』

予想だにしなかった突然の業績悪化に見舞われて、多くの経営者が茫然自失となっている。自分の脇の甘さと自惚れを思い知らされ、眠れない夜を重ねている。しかし、未曾有の不況も悪いことばかりではない。試練に直面したことで目を覚まし、一回り大きな経営者になって帰ってくればいい。


銀行の甘言に踊らされて

中堅アパレルメーカーM社のA社長。現在、45歳。アパレル雑貨の専門分野では豊かな経験と知識を持ち、ブームやトレンドを読む動物的直感にも長けている。
若い頃は大手アパレルメーカーで揉まれ、その後、修行のために欧州に留学。15年ほど前にM社を興した。
会社設立直後から業績は順調で、アジアに現地法人を置くほどまでに成長した。
筆者がA社長に出会ったのはおよそ3年前のことである。物流のフローを見直したいということで、
当時のM社の貿易担当者から我々日本ロジファクトリー(NLF)に連絡が入り、後日、筆者が同社を訪問することになった。
初対面のA社長から筆者が受けた印象は、〝危なそうなヒト〟というものであった。強面の風貌もそうであったが、経営に対する考え方や物事の決め方が、いわゆる〝いけいけどんどん〟で、いずれどこかで躓きそうに思えた。今後も長く続く会社とは思えなかったのである。
相談の内容としては、具体的に話を詰めていったところ、物流のフローよりも既存の協力物流会社の対応力に問題があるという結論に至った。
そこで後日、M社に新しい物流会社を紹介することで同案件を終えたのであった。
そのA社長から先日、私の携帯電話に久しぶりに連絡が入った。珍しい人物からの連絡であり、さては何か問題でも起きたかと、すぐさま対応に出た。
するとA社長は「おかげさまで紹介してもらった物流会社には売上増大にもきっちり対応してもらっています」と丁寧に礼を述べたのに続き、久しぶりに会わないかという。
紹介した物流会社が評価され、クライアントからお礼の連絡をもらうということは、筆者のような商売であれば良くあることのように読者は思われるかも知れないが、実はほとんどない。荷主にとって物流は上手くいって当たり前、筆者に連絡があるのは問題が起きた時ばかりというのが実情だ。
ましてや筆者の知るA社長は、コンサルタントにわざわざ礼をするようなタイプではなく、むしろ「物流が良くなったのも俺の実力だ」と考えるクチである。狐につままれたようであった。
その数日後、A社長との面談にM社を訪れた。オフィスは前回訪問した場所から、一等地の立派なビルに移っていた。
数年ぶりに会うA社長の風貌は相変わらずの強面だったが、物腰は以前と比べてずいぶんと柔らかくなっていた。
我々NLFの紹介した物流会社がM社の売上拡大に大きく貢献していること、さらにはM社の製品が最近では中国市場でも受け入れられるようになり、現地法人を増員するためについ先日、就職説明会を実施したことなどを楽しそうに話してくれた。
そろそろ面談も終りかと感じていた頃に、A社長は突然切り出した。「いや、この三年間は本当に大変で、色々とありました」という。
順調に売り上げを伸ばしているのに、何が大変だったのかと筆者は問い質した。すると次のような事情があったことを話してくれた。
ある銀行がM社の成長を見て、その将来性を見越して5億円をポンと融資した。M社の当面の資金繰りとしては1億円強もあれば十分だった。それだけに5億円もの大金を手にしたA社長は、その使いみちに戸惑ってしまった。
とりあえず、前述のような立派なオフィスに引っ越し、さしあたって必要もない新規採用を行い、さらには有名デザイナーに大金を払ってブランドロゴの作成などを依頼した。それでも使いきれなかった融資額の大半は、不動産投資に充てた。
リーマンショックが起きたのは、それから4カ月後のことだった。購入した土地は一気に半値に下がった。
これによって、A社長いわく「一回会社が潰れました」。身の丈を超えた借入金が、大きな心労となってA社長に襲いかかった。
眠りが浅い。夜中の3時に目が覚める。何をするでもなく外に出て、24時間営業のファーストフード店で時間を潰す。様々なことが頭を駈け巡り、やがて朝を迎える。そんな夜が何日も続いたという。
それまで事業は順調に来ていた。それが本業とは無関係の不動産投資によって危機に陥った。今までの努力や積み上げてきたものが無になってしまう。
「完全にビジョンを見失いました」とA社長は言う。「自分は経営者に向いていないのではないか」
「もう、この業界で生き残れないのではないか」
──激しい自己嫌悪に陥った。
不眠の日々は3カ月近く続いた。やむをえず睡眠導入剤の力を借りることにした。それによって精神状態と体力は少しずつではあったが回復していった。しかし、危機が遠ざかることはなかった。しかし、そんなある日、転機は突然に訪れた。
A社長は今までの自分のキャリアや大手メーカーでの実績を棚卸ししてみた。そこには経営者として優秀とは言えないかもしれないが、決して人に劣っているわけでもない自分がいた。
「俺はやはりこの業界で生きていくしかない。まずは、やり残していることをやってしまおう」と、A社長に持ち前のガッツと行動力が甦った。
それと同時に、A社長の強運も戻ってきた。中国から大口の引き合いが舞い込んだ。今期の決算でM社は経常利益率10%を達成する勢いだ。
さらに来期は売上高の倍増を見込んでいる。リーマンショックに端を発したピンチを通じて、A社長は本業に集中すること、ストレスのない経営を貫くことに目覚めた。
そして、明確なビジョンがあれば怖いものはないということを学んだという。投資用に購入した土地には、まだ買い手がつかず、雑草が生えたままの状態になっている。
それでも借入金は半分の2.5億円まで圧縮した。財務の改善や社内体制の整備はこれからだが、若手社員たちが元気に働いている。何よりA社長自身が生まれ変わり、元気が戻っていることを筆者は実感したのであった。

礼儀知らずだった創業社長の変身
もう一人、紹介しよう。物流会社S社のB社長である。
若干18歳でS社を設立し、今年で創業45年になる。B社長と出会ったのは今から13年前、筆者がNLFを立ち上げて間もない頃だった。
知人の紹介でS社を訪れ、営業活動に関するコンサルティングの相談を受けた。B社長は典型的な物流会社の創業者タイプで、アクが強く、エネルギッシュで頭の回転が速い。酒焼けなのか怒鳴りすぎのせいか、声がやけにしわがれている。A社長と同様に、やはり〝危ない〟感じの社長であった。
実はS社は、我々NLFにとっては〝ブラックリスト入り〟の、いわくつきの会社であった。
先の13年前の相談時のこと、正式なコンサルティング契約を結び、後日初回の指導日になってドタキャンに見舞われた。その後、連絡も取れなかった。S社に理由を尋ねる電話を入れても居留守を使われてしまう。結局、何が起こったのかも分からないまま縁が切れた。そんな会社と深く付き合っても嫌な思いをするだけだと、我々は憤懣を抑えるしかなかった。
そのS社から最近、改めて連絡が入った。しかもNLFのスタッフから渡されたメモには、B社長の名前が書かれていた。
疑心暗鬼で連絡を折り返した。十三年前とは別人のようなB社長の対応であった。しわがれ声は相変わらずだが、口調は丁寧であり、また改めて我々に連絡をとった理由も詳しく明確に説明してくれた。提案営業のサポートを依頼したいという主旨であった。
10日後にS社を訪問した。行きがてら13年前のことが頭に浮かんだ。ドタキャンされた帰り道、混乱した状態でバスに乗り、悔しさのあまり目的の停留所で降り損なって終点まで行ってしまったことを思い出した。
本社の住所は当時のままであった。しかし、私を出迎えてくれたB社長はすでに初老になり、以前に感じた〝危なさ〟はすっかり影を潜めていた。
具体的な相談に入る前にB社長は、久しぶりの再会までの出来事をいろいろと話してくれた。この10年あまりの間にS社は大きく成長していた。
売上高はかつての3倍になり、営業所は5カ所、関連会社は3社に増えていた。成長のペース自体は他社でも見られるレベルだが、その伸び方が珍しかった。
右肩上がりに徐々に成長カーブを描くというのではなく、3年に1度の間隔で売上高が階段状に伸びていた。
まず、ある会社を吸収合併したことで、売上高が30%増加した。その後も節目節目で大型案件を受注していた。〝ここ一番〟という大勝負で確実に案件を取っていたのであった。
今回、我々NLFに提案営業のサポートを要請したのも、再び〝ここ一番〟を迎えたからであった。
他にもB社長は、息子が自分の会社を手伝うようになったこと、孫が出来たこと、そして今回の不況が創業からの45年間の中で一番厳しかったことなどを話してくれた。
B社長いわく、「今までの商売のやり方が間違っていたことに気付いた」、「身の丈にあった経営が一番大事だ」、「息子に跡を継がせるつもりはないが、自分が現役を退いた後の経営を考えていなかった」など。かつてのB社長からは想像もつかない謙虚な言葉が続いた。
今回の相談の主旨である提案営業のサポートに対する筆者の話に対しても、1つひとつ頷いたり、手帳にメモを取ったり、熱心に耳を傾けてくれた。
そして今回の案件だけでなく、今後は様々な面で我々NLFにサポートして欲しいという。話を聞いていて筆者はB社長を信頼することができた。もうドタキャンの恐れもないだろう。このような再会から提案営業のプロジェクトは進行し、当初目論んでいた受託対象範囲の7割にとどまったものの、無事受注に漕ぎ付けようとしている。
リーマンショックは筆者の身近にいる経営者たちにも大変な影響を及ぼしている。
ただし、その影響は大きく二極化しているように感じる。頭から冷や水を浴びせられたような気がしているのは、どの経営者も同じだろう。
しかし、それによって目を覚まし、経営のシフトチェンジやモデルチェンジにひたむきに取り組み、より強くなった経営者や会社も少なくないのである。