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第87回 事例で学ぶ現場改善:『食品物流会社社長のささやかな望み』

正月を家族みんなで迎えたい。食品物流会社社長のささやかな願いであった。創業してからこれまで家族共々働きづめだった。たまの休みも家族が交代でとるしかない。財務経理を一手に引き受けてきた妻に、アシスタントを付けて少しは休ませてやりたい。そのために新規荷主を獲得する必要があった。

元暴走族の悪タレが運送業で独り立ち
T社は雪国にある、年商16億円の地場物流会社である。
創業者でもあるS社長は18歳の時に同社の前身となったT商会を立ち上げた。立ち上げたといっても、個人でトラックを購入し、営業免許を持たない白ナンバーの一人親方として運送業をはじめたのであった。
元は暴走族に入り、少年院に送り込まれるほどの悪ガキだった。中学を卒業して仕事に困った挙句、
〝ハンドル〟でメシを食おうとトラック運転手を選んだのであった。親族や暴走族の先輩達から資金を集め、中古の10トンを購入した。冷蔵車だった。
食品物流は一年中仕事の途切れることがない。しかも当時は協力運送会社に対する与信調査やコンペなどもなかった。知り合いのツテをたどって仕事をもらい、冷蔵食品の長距離輸送で生計を立てた。S社長はがむしゃらに働いた。その働きぶりが着荷主であった食品卸のB社長の目に留まった。
ある日、B社長から「ウチの配送をやるつもりはないか」と仕事の声がかかった。しかし、自分は今の仕事で手一杯で、他に社員がいるわけでもない。新たに車両を購入する資金もない。普通なら「お金がない」、「時間がない」と、できない理由を並べるところだろう。
S社長は違った。そこが起業家という人種のいいところなのだろう。
B社長に対し、「トラック1台くらいの仕事ではとても割に合わない。少なくとも2台分の仕事は欲しい」と切り返した。するとB社長は「アンタさえ良ければウチの13台分の仕事、全部やってもらってもいいよ」という。
S社長は必死に車両の購入資金をかき集めた。その中には仕事の発注者であるB社長も含まれていた。
結局、3台分の資金にしかならなかったが、それでも自分のトラックを含めて4台の運送会社にステップアップしたのであった。
その後もS社長は食品物流に特化して堅実に仕事を続けていった。その結果、今では県内に3カ所、県外に2カ所の営業所を展開するまでになった。
運送だけではなく、5カ所の営業所のうち2カ所はコンビニと食品スーパーの物流センターだ。残りの3カ所も車庫の他に小規模な倉庫を併設している。
筆者とS社長は旧知の間柄で、これまでも何度となく電話で経営相談を受けていた。しかし今回は直に会って、じっくりと話がしたいという。
数週間後、筆者はS社長の待つ雪国の空港に降り立った。空港からタクシーで20分ほど走ったところにT社はあった。
会社の敷地内に入っても休んでいる車両は1台も見当たらず、車検か修理かは定かではなかったが、自前の整備工場に4トン車が1台だけ納まっていた。
この不景気でも仕事は順調のようだ。車庫の2階にある事務所に入ると、5〜6人の事務スタッフが黙々と仕事をこなしていた。すぐさまS社長が出迎えてくれた。通された会議室には他に2人の男性社員が座って待っていた。幹部社員である。名刺交換のあと、S社長から本題が切り出された。
「地元のM社への営業を手伝って欲しい。受託できればウチにとって大きな新規案件になる。ついてはM社への提案とその取りまとめをお願いできないか」というものであった。
先方のM社からは過去にも業務委託の打診を受けたことがあるという。しかし、T社側に仕事を引き受ける準備が足りなかった。
社内調整に手間取り、結局提案書も作れないまま話が流れてしまった。前回の失敗の二の舞は御免だ。
今度こそ受注を果たしたいと、S社長は強く願っていた。
それともう1つ、S社長が今回、我々のような社外の人間の力を借りてまで、新規案件を受託したいと考える理由があった。
創業からこれまでT社の財務経理を一手に引き受けて仕事に追われてきた妻に、アシスタント役を付けてやりたい。その人件費を今度の仕事で捻出したいというものであった。

初めての料率制料金契約に戸惑う
T社に限らず、食品、特に冷蔵品を扱っている物流会社には休日がない。S社長もトラック1台の時代から、まともに休みを取った記憶がないという。
さすがに今では元日の1日だけは休むようにしているが、その代わり奥方が会社に出てドライバー達の帰りを待つ。
S社長には息子が3人いる。3人とも既に社会人になっていて、そのうち2人は家業のT社に入社した。まだ帝王学を教え込むような時期ではないが、跡継ぎもできてS社長はひとまず安心しているようだった。
S社長は「家族揃って正月を迎えるというイベントを、そろそろウチも実現してみたい」と恥ずかしそうに打ち明けた。
これまで苦労を重ねてきたS社長一家の、ささやかな望みである。これには筆者はもちろん、そこに居合わせたT社の幹部社員たちも同調し、何としてでもM社の案件を受託しなければと気持ちが高まった。
我々はまずM社から打診を受けた背景と具体的な要望事項を整理した。M社は地元のオーナー企業であり、S社長の昔からの知り合いだった。営業ルートとしては最も固い線だ。委託業務の内容も妥当で、他に提案を競うライバルもいない。相見積もりをとって料金を比較したいだけの眉唾話とは違う。そもそもM社はT社に依頼したいと思っている。
よほど大きなミスを起こさない限り、受注できる仕事だと判断できた。後の問題は3つ。

①先方の要望に対する提案書をまとめ上げること。
②M社の要望に見合ったコストで運営できるか検証を行うこと。
③立ち上げ時の混乱(リスク)を最小限に抑えることであった。

このうち①提案書に関しては、我々日本ロジファクトリー(NLF)が提案書のフォームを提供し、そこにある空欄をT社の担当者にできる限り埋めてもらい、それを受けてNLFが加筆・修正するというかたちで作成していった。
②コストの検証に当たって、M社から2つの要望が出ていた。コスト面でM社は現状の支払い物流費の3%削減を求めていた。
既存の料金は実勢相場と比較して割高であったため、これについては想定の範囲内であった。
しかし、もう1つの要望、料金体系をコストの積み上げ式ではなく、センターを通過する商品の仕入れ金額に一定のパーセントを掛けた料率制にしたいという要望は、T社にとっては大きな課題だった。
これまでT社は料率制で契約したことがないのはもちろん、見積もりさえ出したことがなかった。
そこで我々NLFは、料率契約とはどういうものか、その契約でどこまでの業務をカバーする必要があるのかを説明し、さらに他社の事例を紹介した。
基本的には、入荷後のセンター運営全般と配送料金までが業務範囲で、センター運営費も原価を料率に置き換えるだけなのだが、T社にとっては初めてのことであり、戸惑いは隠せなかった。
まずは商品ごとの仕入額と総数、入荷ロットと荷姿、出荷単位数、商品マスター、入荷時間、店着時間情報、ベンダー在庫の有無、月別波動などの情報をM社から提出してもらい原価を弾いた。管理業務を他の業務と汎用化することで極力コストを抑えて見積もりを作成した。
しかし、1回目の提示はM社から「高い」と却下されてしまった。それに対して単純に料率を下げれば採算割れしてしまう。
そこで新たな付帯条件を求める代わりに料率を下げるという提案を行った。具体的には、納品に使うカゴ台車の追加購入分および特定エリアにおける高速道路料金をM社の負担にすること。そして入出荷量の最低基準を設定することである。この提案をM社は渋々ながらも受け入れた。

2010.04■図●企画提案書のテンプレート

日本の食を支える縁の下の力持ち
③立ち上げ時の混乱を最小限に抑える方法としては、2つの手を打った。立ち上げ経験者の投入と人海戦術である。
立ち上げ経験者としては、T社の幹部2人のうち1人がその該当者だった。そこで今回の案件でも、その幹部をプロジェクトリーダーに任命し、稼働から3カ月間は責任者として現場に張り付かせることにした。
それに加えて、安定稼働後に必要な人員の約2倍のスタッフを投下することにした。具体的にはパート・アルバイト25人という設計に対して47人を投下した。
実際に稼働させてみると、それでも人手が足りない。他のセンターから応援を回し、一部は派遣会社にも頼ることになってしまった。
新規立ち上げの成否の目安となる稼働1カ月目に、筆者は再び現場を訪問した。まだ安定稼働と言える状態ではなかったが、当初の混乱は鎮静化の方向にあった。S社長も現場を見る目は厳しかったが、どこかほっとしている様子だった。
T社からの帰りは奥様が空港まで車で送ってくれた。車中いろいろな話をしたが、返事はいつも言葉ではなく笑顔であり、多くを語らない人であった。
食品物流会社は土日はもちろんの盆暮れの休みもなく、365日・24時間、モノを動かしている。
不況に強いという利点があるため興味を持つ物流会社も多いが、不眠不休で身を粉にして働く現場があって初めて成り立つ商売だ。
食品産業がT社のような献身的な縁の下の力持ちに支えられているという事実は、我々のような物流関係者はもちろん、一般消費者も忘れてはいけないことだと思う。