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第100回 事例で学ぶ現場改善:『燃料不足と闘う中小運送会社たち』

車両とドライバーの用意はできている。輸送ルートも確保した。ところが燃料がない。中小の物流会社は燃料の供給も後回しにされがちだ。このままでは荷主の要請に応えられないだけでなく、会社の存続自体が危うい。各地でギリギリの闘いが続いている。
 

ローリーを併走させて長距離輸送
大震災から6日目のことだった。筆者の元に、あるメーカーから重油を運んでくれる運送会社を至急紹介して欲しいという依頼が入った。
輸送だけではなく、重油を確保して、岩手に納品するというかなりハードルの高い依頼内容であった。
この連絡を受けたのは、三重県の物流会社A社に向かって車を走らせているところであった。いったん電話を切り、ハンドルを握りながら、どこかに対応してくれる会社はないかと考えを巡らせていたところ、A社が浮かび上がった。今から向かう物流会社である。
早速、A社の会長に連絡を取り、事情を説明した。面倒見の良さと強いリーダーシップを持つA社の会長は二つ返事で「よっしゃ、わかった。何とかしよう」と快諾してくれたのであった。ただし、一つ問題があるという。
仮に三重から岩手の花巻まで運ぶとすると片道で1000キロ弱、往復だと約2000キロの走行になる。燃費をリッター4キロとして計算しても500リッターの軽油が必要だ。A社のローリー車のタンクには200リッターしか入らない。
しかし今の状況では現地で給油することはできないとのことだった。それを受けて著者は、燃料輸送用の車両を並走させて2台で運べないかと提案した。すると会長は「できるが、運賃が二台分かかる」という。再度、依頼のあったメーカーにそのことを伝えた。すぐに「今はコストの問題ではない」という回答が返ってきた。
A社は早速、準備に入った。具体的には①車両の点検、②ドライバーの選定、③管轄警察署(公安委員)への「緊急物資輸送」許可証の発行手続、④重油の確保である。
このうち重油の確保は、A社だからこそ実現できたことだった。会長の人脈を使って近隣の様々なところから計14キロリットルもの重油をかき集めた。工場の操業維持には十分な量だった。
A社の活躍はまだ続く。納入予定であった金曜日よりも2日も早く、水曜日にローリー車を現地に到着させた。運行の妙であった。
東北の内陸道路は渋滞と被災の影響から通行できない箇所があると予測し、日本海側を迂回して岩手に入った。
そして三重県から約半日あまりの14時間の連続走行をツーマンドライバーで実現したのであった。しかしジャストインタイムとは良く言ったもので、C社のローリー車の到着は皮肉にも早過ぎた。工場の燃料タンクにまだ空きができておらず、流し込み(荷卸し)ができなかったのである。ローリー輸送の依頼は殺到しており、車両には次の被災地に向かう予定が入っていた。
工場側とギリギリの調整を行ったが結局、一泊待機しての流し込みとなったのであった。それでもA社の会長は筆者には一言も愚痴を言わず、「もう届けたよ」と一報を入れてくれた。A社の適切な準備、手際の良さ、そして教育されたドライバーによる「心・技・体」が、このメーカーを操業停止から救ってくれたのであった。
震災以降、ローリー車は全国でフル稼働している。しかし、震災前まではガソリンスタンドの減少が長く続いていたこともあって、「過去にはローリー車を所有していたが現在は廃車にしている」、「台数を大幅に減らし、かつ小型化の傾向にある」といった話ばかりを筆者は耳にしていた。
今や稀少となってしまったローリー車が、どれだけ重要な役割を担っていたのか、改めて痛感させられたのは筆者だけではないはずだ。

荷主が無償サービスを要求
ローリー車の活躍は、北関東に本社を置き広域配送を行っている中堅物流会社のB社でも見られた。B社は石油業界、住宅、アパレル、食品といった様々な業種の荷主に対応し、原料から製品まで幅広く取り扱っている。
B社の主力業務の一つが、港で陸揚げされたコンテナをそのまま目的地まで運ぶドレージ輸送だった。これが今回の震災で大きな被害を受けた。
B社は関東から東北にかけて計九港にドレージ業務対応の営業所を設置していた。このうち8営業所が津波によって大きな損傷を受け、閉鎖を余儀なくされた。港自体が壊滅したのであるから影響を避けられるはずもなかった。震災から約2週間を経て各自治体、国土交通省、海上保安庁などが復旧に着手したが、湾岸地区には無数の瓦礫が流積しており、救援緊急物資用船舶の着岸を確保するのがやっとのことであった。
一方で北関東、東北地区のほとんどの港施設が使用できなくなったことで、船舶が東京港に集中した。これによって東京港では荷捌き作業に時間がかかり、到着した荷物が港から出せない状況が続いているという。
現在、B社は閉鎖となった営業所の従業員を他の営業所に応援に回しているが、一部の従業員には自宅待機を命じざるを得ない状況となっている。
今回の震災による業績へのダメージは、まだ見通しさえ立っていない。そんなB社ではあるが、ささやかな光も差している。
従来から石油精製所を荷主とする燃料輸送を行っていたため、タンクローリー車を20台保有していた。各企業や自治体からローリー車への依頼が殺到している。現在は木更津から自衛隊が使用するジェット燃料を運ぶことで復興の黒子として活躍している。
しかし、荷主企業のなかには自分たちの業務を継続するために、無償でローリー車やトラックを使わせて欲しいと要請してくるところもあるという。B社自ら被災者でありながら復旧活動のサポートを行っている状態なのに、無神経だと非難されても仕方のないところだろう。

燃料の確保に悪戦苦闘
今回の震災では燃料の確保が物流業の死活問題となっている。C運送は山形を拠点とする車両25台のトラック運送会社である。
同じ東北でも日本海側に位置する山形は太平洋側の岩手、宮城、福島などと比べると震災の被害はずっと小さかったとされる。それでもC運送もまた10トン車と4トン車それぞれ1台ずつを津波で流された。幸いにもドライバーは自力で車内から脱出して無事だった。
しかし10t車はボデー部分が真っ二つに折れた。一方の4t車も運転席のキャビン部分が跡形もなくなってしまうという有り様だった。
さらにC運送の主な荷主である部品メーカーや地場の中小メーカーが震災後、相次いで生産中止に追い込まれた。これを受けてC運送も10日間の休業を判断せざるを得なかった。それ以上、休業が長引くようであれば廃業も覚悟しなければならないところだった。幸いにも各荷主の復興は予想よりもずっと早かった。
「早期に工場を稼動して製品を大手メーカーに納めたい。ついてはC運送さんにも協力して欲しい」
といった要請が複数の荷主から舞い込んだ。しかし、事業再開直後に大きな問題がC運送の前に立ちはだかった。
燃料の枯渇である。地下タンク(インタンク)の在庫が底をつきかけていた。報道の通り、政府によって民間備蓄の放出が行われたが、当然ながら供給先は自衛隊や消防などが優先されるため、業務用トラックへ軽油が回り出すには時間がかかった。しかも物流会社に公平に軽油が供給されたわけではなかった。在庫の振り分けは石油元売りの地域販売代理店の営業担当者が胸先三寸で優先順位を決める。やはり大手が優先され、C運送のような中小は後回しにされた。一般のガソリンスタンドと同レベルの扱いだった。
C運送のM専務は燃料販売会社の営業担当者と何度も連絡を取った。しかし、答えはNO。給油にはしばらく時間がかかるという。
関東以西に向かう大型車両については卸し地(着地)での給油で何とか凌いだが、近場を走る中小型車両はインタンクへの給油に頼るしかなかった。
C運送は軽油をまとまって確保する術のある業界団体や組合には属してはいなかった。C運送にとってはインタンクの在庫が最後の命綱であった。M専務は気持ちを引き締め、再び燃料販売会社の営業担当者と連絡を取った。1日に何度も連絡して油を売ってくれるようにひたすら頭を下げた。他になす術もなかった。必死の訴えは3日目になってようやくOKが出た。ただし、確約できるのはインタンク1回分のみ。値段も通常よりもかなり割高であった。それでもC運送にとっては恵みの油であり、納得せざるを得なかった。この時点でインタンクの在庫は1日分しか残っていなかった。
C運送が間一髪で燃料を確保できたのは、石油備蓄規制のさらなる緩和と公的用途向けの供給が一巡したことも追い風になったようだが、M専務の粘り強い対応がなければ結果は違ったものになっていたに違いない。