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第140回 事例で学ぶ現場改善:『中堅運送会社の営業力強化と後継者選び』

古いスタイルの運送業のまま、創業社長のワンマン経営で半世紀を生き抜いてきた。しかし、さすがの社長も、引退の時期が近付いている。社長個人の力に頼らない組織的な営業力を会社として獲得し、また後継者へのバトンタッチを進めていく必要があった。

4割近く売り上げが減少
G社は単独の年間売り上げが約30億円、関連会社3社を含めたグループ売り上げが約45億円という中堅運送会社である。
福岡に本社を置き、一時は広島、大阪、名古屋、東京にまで営業所を展開していた。売り上げもピーク時には単独で45億円に達していたのだが、リーマンショック後に大きく減少。営業所も現在は本社と東京が残っているだけである。
G社の創業社長であるN氏は強烈なワンマン経営者で、80歳を超える今もグループを牽引し続けている。著者とは16年ぶりの再会であった。
どうすればG社を今よりも強くできるのか、社外の視点から他社の事例も交えてアドバイスして欲しいとのことであった。またN社長は次の経営者を選ぶために、候補となる経営幹部を見極める必要にも迫られていた。面談は30〜40分ほどであったが、その席で我々日本ロジファクトリー(NLF)が
正式にG社グループのコンサルティングに入ることが決まった。我々はまず経営幹部へのヒアリングや車両の横乗り調査、各種の社内会議への参加などを通して、Gグループの実態把握に努めた。予想通り、G社にはワンマン経営特有の傾向が見られた。
皆がN社長の顔色をうかがう、上向き組織であった。ただし、意外な一面もあった。経営幹部たちのアクの強さである。ワンマン会社の幹部といえば、大人しい〝イエスマン〟ばかりというのが常であるがそうではなかった。これはN社長の人材の好みによるもので、やんちゃな人物が年齢を問わず好きなのである。
もう一つ驚かされたのは、はるか昔の運送会社のスタイルを今も踏襲していることであった。運送会社の経営とはトラックを購入して定期(常傭)の仕事をもらう、できれば長距離幹線輸送を請け負うのが最上だという考えで、倉庫設備も所有していたが3PLという言葉などもちろん知らないし、小口配送や共同配送、パート・アルバイトを活用したセンター運営などで利益を上げる昨今の物流会社とは全く違う世界で商売を続けてきたのであった。営業活動も、N社長の人脈頼みであった。営業担当者として常務を含めて5人を配置していたが、純粋に自力で受注までこぎ着けたと言える案件は、ほぼ皆無という有様であった。
スーツを着た〝ヒナ鳥〟たちに、N社長という〝親鳥〟がせっせと仕事を運び続けてきたわけである。
しかし、そうやってせっかく新規の口座を開いても、荷主とどのようなコミュニケーションをとれば良いのか、営業マンたちが理解していないため、既存荷主を深耕することができない。すぐに仕事が切れてしまうということが頻繁に起きていた。それでも今までは何とかやってこられたわけだが、リーマンショックにはさすがに耐えられなかった。
売り上げはピーク時から40%近く下落した。広く浅くのお付き合いが見事に崩壊したのであった。この頃からN社長は外部からの人材登用を積極的に行うようになった。狙いはもちろん売り上げの獲得である。分野は問わずに、肩書きに「長」のつく比較的年輩者を探した。「あそこに○○という人物がいる」と聞くとN社長が自ら足を運んでヘッドハンティングを行った。
G社長のパワフルな説得に何人もの「長」が口説き落とされた。N社長が目を付けたのは、人材ではなく人脈であった。「長」がその業界で築いた人脈を辿って営業をかけるのである。この変則的な手法が結果的には功を奏した。
いくつか新規案件を受託し、リーマンショックを生き延びることができたのであった。しかし、そんなやり方をずっと続けていけるわけでもない。組織として営業力を強化するには、N社長に長年かわいがられてきた個性の強い幹部たちの意識を変える必要があった。彼等の大きな声と大きな態度、そして頑固な考え方に、我々NLFはずいぶんと手こずった。
NLFを通して荷主や物流子会社を顧客としてG社に紹介もした。しかし、その対応がまずい。見積書は書けるが提案書が作れない。その前にパソコンを操作できない。なんとか案件を受託できてもチャンスをムダにしてしまう。依頼主は初回の仕事でその会社の実力を推し量る。そのことを十分に理解していないため、車を探しきれなかったり、ドライバーが音を上げてしまったり。初回の仕事がうまくいっても、その後にフォローも訪問もしない。それでも取り組みを進めるうちに中堅社員の一部には少しずつ意識の変化が見られるようになってきた。
一筋の光は見えてきたのだが、すぐに成果を期待できるわけではなかった。そんな状態にあるG社の営業力をどうすれば強化できるのか。我々の結論は、営業マンのスキルに依存しない商品づくりであった。

「DM営業」作戦が成功
G社グループの輸配送インフラの特徴、それに緊急時のリスクヘッジ方法を考慮して、地元の福岡と東京で「中距離・中ロット輸送サービス」の商品化を打ち出した。
路線会社のサービスと地場のルート配送の隙間を狙ったニッチ商品である。そしてダイレクトメール(DM)を使って、サービス内容を告知することにした。
DM営業というと読者のなかには苦い経験を持つ人もいるかもしれない。というのも、筆者の経験則から言うと、物流業界におけるDM営業は首都圏では効果はあっても、顧客層の限られた地方の新規開拓には向かないからだ。それでもやり方はある。G社の場合にはDMのターゲットを新規荷主ではなく
既存荷主のうち取引が薄くなっているか、あるいは取引が切れてしまった「過去客」に定めた。また告知は1回だけではなく、3カ月後に2回目、さらにその3カ月後に3回目と最低でも3回は継続することにした。そしてDM配布先に追っかけで電話営業を行った。その時に、DMの内容とは違う荷主の要望を聞くことがある。それに対してNOと言わない対応と組み立てを行うことが重要である。実際、我々が過去にDM営業を行った案件でも、結果として受託できた仕事の大半はDMで告知したサービス以外の業務であった。DM営業の効果は予想以上であった。
レスポンスの大半は既存顧客ではなく、〝過去客〟であった。G社は長年、広く浅くのお付き合いを行ってきたために、過去客の名刺は山ほどあった。これが今回はプラスに働いた。しかし、せっかく見込み客から引き合いが集まったのに、肝心の営業部隊が提案書どころか、見積書を提出するのに1カ月近くもかかっている。
荷主の問い合わせに対するレスポンスの賞味期間はせいぜい7日〜10日である。統計をとっているわけではないが、この期間を超えてしまうと受注率は著しく低下する。レスポンスの遅い相手をすぐに顧客は見限る。他社に取られしまうのも当たり前で、そうでなくても1カ月も経過すれば、状況自体が変わってしまうことが往々にして起きる。
我々NLFはここで、さらに強制指導を行った。さしあたって、すぐに提案が必要と思われる案件はNLFで提案書の作成を代行し、その他は、見積書、提案書に関わらず全ての問い合わせに対して10日以内に対応するように周知徹底したのである。早朝から出勤して傭車を探す者、徹夜で原価計算を行う者など、営業担当者は大わらわであった。しかし、その甲斐あって順調に受託は進み売り上げは増えていった。
DMという古典的な手法ではあるが、これによってG社の営業は大きく変わったのであった。N社長と我々には営業力強化のほかに、もう一つ頭の痛い課題があった。次期社長の人選である。N社長には3人の息子がいた。3人共、いったんは物流関連会社に勤め、いわゆる他人の釜のメシを食わせた後に家業に戻りG社もしくはグループ会社に在籍している。そのうち長男は父親であるN社長の側に常に同行し、社長室長兼秘書のような立場にある。
次男は活発な性格で、N社長とも度々意見がぶつかることもあって、現在はG社本体から出て、関連会社の社長をしている。三男はG社本体の営業を行っている。おとなしく、やさしい性格で、自己主張もほとんどない。3人も息子がいて、3人ともG社グループで働いているのだから、そのうち一人を後継者に決め、帝王学を学ばせれば良さそうなものだ。
しかし、N社長曰く「息子に継がせるつもりはない。自分でどうしても継ぎたいというヤツが出てくれば考える」と、3人をまったく放置していた。
社長であると同時に、3人の父親でもあるN社長には、自分で後継者を指名することに対して躊躇があるように感じられた。そこで筆者は3人の息子のうち、最も後継者に近いと判断した次男とじっくり話をすることにした。すると本人は「これだけの商いがあるし、継いでも良いとは考えているが、社長(父親)が何と言うかですね」という。そのことを後日、N社長に伝えたが、「そうか」と一言コメントしただけであった。しかし、それからしばらく経って、N社長は動いた。次男をG社の役付取締役に据えて、Gグループ全体の経営会議に参加させたのだ。
その会議で問題は起こった。新任幹部の次男と、古参幹部であり、N社長とも血縁関係にあるS役員との大喧嘩が始まったのだ。
年下である次男に対して、S役員が経営論を講釈した。その〝上から目線〟が気にくわなかったのだろう。次男は「資金繰りもできない役員にえらそうに言われたくない」と反論。数十分もの間、罵倒が続いた。この後、次男とS役員は顔も合わせなくなった。どっちもどっちであった。次男はもちろん、次期社長候補の一人でもあったS役員もまた、トップとしては不適格であることは誰の目にも明らかだった。
他にもG社には生え抜きの専務がいた。N社長を「動」とすれば、Y専務は「静」。創業間もない頃からN社長と二人三脚で走ってきた。Y専務個人の経営に対する考え方は、必ずしもN社長と同じではなかった。それでも愛社精神に欠けるとか、反抗分子になることはなかった。N社長の想いを社内に落とし込もうとするが、なかなか自分の能力では果たせない無力さを感じながら、N社長の強いリーダーシップに引っ張られ、ここまで付いてきた。常にトップの方針と現場との板挟みに置かれてきたわけだが、それを表に出すことのない寡黙な番頭役であった。G社長の息子への繋ぎ役としては相応しく、
実際、社内外から次期社長と目されていた。

ないものねだりの後継者選び
しかし、N社長は納得しなかった。Y専務を「G社グループのことを最も知る人物であるのは確かだが、リーダーシップがない」と不適格の烙印を押してしまった。全ての権限を持ち、またそれに見合うだけの仕事をしてきたN社長は、幹部に任せられない一面を持っているようだった。部下の力を信じられないのである。そのことが社内に重い閉塞感をもたらしていた。後継者選びは経営トップの最重要課題の一つである。能力に関係なく子供に継がせる社長もいれば、自分と同じタイプの経営者を探す社長もいる。
その時代に合った人材にバトンタッチするのは確かに一つの手ではあるが、中堅以下の企業では相応しい人材が見当たらないことも多い。とりわけワンマン経営が長く続いてきた会社は、幹部の実力がなかなか見えないものだ。トップの目からも見えているわけではない。
このままではG社の後継者選びは、ないものねだりになってしまう。N社長自身が変わらなければならないのである。