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第117回 事例で学ぶ現場改善:『中堅運送会社H社の営業改革』

若手が定着せず、次々に辞めていく。厳しいノルマに追われ、戦略もないまま飛び込み営業を繰り返すことに皆が疲弊していた。創業社長のバイタリティとベテラン幹部たちの個人技に頼った経営は曲がり角を迎えていた。これまでの成功体験を捨て、組織を作り直す必要があった。

発言力の強い配車係が社内の壁に
H社はグループ年商が約三〇億円の中堅運送会社である。関東に本社を置き、東・名・阪に拠点を展開している。
一時期は仙台と福岡にも進出していたが、所長を担える人材を欠いていたところにリーマンショックが追い打ちをかけ、事業エリアの縮小を迫られた。
それまでは創業者のK社長のカリスマ性と強烈なトップダウン経営で順調に売上規模を伸ばしていた。
しかし、K社長がH社とは別に経営する他事業に手を取られるようになり、また経営者としての年齢的な盛りを過ぎたこともあって、運送事業における営業力が低下していた。
筆者とK社長とはかれこれ二〇年近い付き合いである。時々思い出したように連絡をくれる。
今回のコンサルティングは幹部向けの管理職研修に始まり、コストダウン実務を経て、次に営業改革に移ろうというところである。
そのH社の営業であるが、会社の創生期にはK社長の広い人脈を通しての紹介が売り上げの大半を占めていた。その後、事業基盤が安定し始めた頃から徐々にトップセールスを脱し、人海戦術でいわゆる〝飛び込み〟営業を積み重ねることによって売り上げを作ってきた。
K社長には一つのこだわりがあった。「下請け仕事は受けない」ということである。物流子会社と大手路線会社、足回りを持たない倉庫会社は直荷主扱いだったが、それ以外の同業他社に頭を下げて仕事をもらうことはK社長のプライドが許さなかった。それだけに営業には人手をかける必要があった。
その数、実に一八人。〝数で戦う〟戦略とはいえ、年商三〇億円の売り上げに対して多すぎる人数であった。先のコストダウン実務でこれを一〇人まで減らした。営業マン四人、営業を兼ねた新分野立上げ責任者三人、グループ会社の営業担当者三人という構成である。
スリム化の次は営業方法の見直しである。課題は山積していた。その中でも重要かつH社に特徴的な課題を以下に列記する。

●飛び込み営業一本槍のため、若手の気力が持たず、次々と退職していく。
●活動量に比べてロスが多い。
●個人予算の設定額と未達時の原因追求が厳しいため、目先の売り上げに追われて「戦略」や「マーケティング」にまで考えが及ばない。
●御用聞き営業ばかりで提案できない。
●パソコンのスキルが不足している(提案書を書いたことのある営業自体が皆無)
●オーナーによるワンマン経営のため、皆トップの顔しか見ていない。  営業マンが営業本部長クラスの指示にも耳を貸さない。
●組織営業や二人以上の営業マンで荷主を訪問する同行営業などは一切ない。

つまり、情報を共有できず、成功体験が受け継がれることもない、コミュニケーションゼロの集団であった。営業マンは常に一匹狼の状態に置かれていた。しかも、社内には営業マンの活動を阻む大きな壁があった。発言力が強すぎる配車係の存在である。
若手営業マンが何とか仕事を取ってきても「値段が安い」「詳細が詰まっていない」とはね付けられてしまう。営業力強化の最大の課題といっても良かった。
H社のように配車係が営業活動の足枷になっているケースは決して珍しくない。そこにメスを入れることができれば、営業活動の推進力は全く違ったものになってくる。そこで筆者は常日頃から〝Noと言わない配車〟の実現をクライアントに唱えてきた。そのことをK社長に伝えたところ、大きく頷いた。そして配車担当者の三人に対し、「先ずは受けて、どう組み立てるかを汗水ながして考えろ! 〝No〟は絶対許さん!」とトップダウンで強く命じたのであった。
しかし、それも束の間、一週間ほどで元の状態に戻ってしまった。K社長の命令でさえ守られない。
それもそのはず、H社では配車担当者にも大きな売上予算(ノルマ)が設定されていた。予算未達となればトップから厳しく詰問される。それを恐れるばかりに、営業からの案件を断り、配車係が自分で探した仕事を優先するといったことが日常茶飯事となっていた。
そんな状態でもH社が事実上、運送一本で生き抜いてこられたのは、社長の顔の広さとその下で厳しいノルマを耐え抜いてきたベテラン幹部たちの力があったからだ。実際、民間の荷主口座数は五〇〇を優に超え、行政関係の入札では圧倒的な勝率を誇っていた。

「フェイスブック」でPR
まずは意識改革が必要だった。効果的な営業方法を示すだけでは言うことを聞きそうになかった。
成功事例をはっきりと見せる必要があった。そこで受注確度の高い案件を選んで、紹介営業に着手した。
紹介先のクライアントに頼み込み、見積書を出す段階までは商談を進めてもらえるように事前に手を回しておいた。
なかば出来レースであったが、それでも大手物流子会社の二つの拠点から、スポット輸送と定期便をそれぞれ受託することに成功した。ここからが改革の本番であった。ベテランの営業マンに対しては、既成概念を一つひとつ粉砕し、過去には成功したやり方でも今では通用しなくなっていることを、事例を交えて伝えていった。
一方、若手には新しいことをドンドン試してみようとハッパをかけた。そして、少しでも効果が出れば、会議の席で賞賛した。そこからインターネットのソーシャルメディア「フェイスブック」を使った関連会社のPR作戦が生まれ、傭車先の配車マンとのパイプができて新規案件がまとまるといった成果
が生まれた。
営業マンの意識改革に続いて我々は以下のようなテーマを順に落とし込んでいった。

①新規営業の停止と既存荷主の深耕
②グループ会社の営業マンとの同行営業の実施
③〝車両を持った運送取扱事業〟の推進
④サービス開発&DM営業の実施
⑤ドライバー名刺の改善と挨拶の徹底
⑥売上管理から利益管理への移行

「①新規営業の停止と既存荷主の深耕」は、約五〇〇にも上る荷主口座を持ちながら、それを全く活かせていなかったことが理由である。荷主の数は多いものの、売り上げの大半はスポット輸送であり、常用の仕事を受けている荷主は口座数の一割にも満たなかった。そこで、いったん新規の荷主開拓をストップし、既存荷主の営業に集中することにした。荷主ごとに訪問頻度を設定し、訪問時に手渡す提案書を作成した。提案書のテンプレートとしてサービス別に五種類を用意した。保管業務、中ロット・中距離輸送、小口路線業務の一元管理、回収(引き取り)、リサイクルである。既存荷主への訪問を重ねることでわかってきたことがあった。
H社は既存荷主が開催する協力会にほとんど参加していなかった。参加の要請すら受けていないケースが多かった。協力会を通じて各社の優劣を判断している荷主は決して少なくないというのに、もった
いない話である。そこで各荷主の「輸送品質会議」や「協力会」の開催の有無を確認し、〝皆勤運動〟と銘打って全参加を義務づけた。

「②グループ会社の営業マンとの同行営業の実施」とは、H社のグループ企業でバスやタクシー事業を運営する交通会社との相乗効果を狙ったものである。
交通会社の営業マンとH社の営業マンが一緒に顧客を訪問する。回を重ねる毎に、とくに若手の営業マンたちの言動に変化が見られるようになっていった。それまで名前は聞いたことはあっても顔を見るのは初めてという状態だった若手同士が次第に親しく話をするようになった。これをチャンスと見て、意図的にグループを作り、グループで顧客を共有する体制を推し進めた。その結果、売り上げとしては小額ながら定例会議で毎回のように新規受注の報告が成されるようになった。若手から火が点く、理想的な流れであった。

社内“一人水屋”制度を導入
「③〝車両を持った運送取扱事業〟の推進」は、最も大きな成果の上がった取り組みである。最古参の営業マンT氏がその主役であった。
T氏は創業時代からK社長と共にH社を支えてきた実力者だ。しかし、人の上に立つのは苦手で、管理職として幾度となく失態を犯してきたことから現在は、部下を持たない一人営業部長であった。
それでも売上金額、予算達成率とも常にトップレベルにあった。そのやり方は運送取扱専門、いわゆる〝一人水屋〟であった。
営業センスがなかったり、頭でっかちで言い訳が先に立つような人材を底上げするよりも、もともと売り上げを作れる人材にさらに良い環境を与えたほうが業績の改善には効果的である。そこでT氏の売り上げをさらに増やすにはどうすれば良いかを皆で協議した。
口数の少ないT氏から出てきた意見をヒントに、我々は「ロス率」を低くする、つまりマッチングしなかった案件を極力なくすことで、それが可能になるはずだという仮説を立てた。「ロス率」という言葉を聞いて、T氏ははじめキョトンとしていた。しかし、間もなくそれが輸送依頼を受けたが車両を手当てできなかった注文の割合だと気付いて、ロス率は約三割だと答えた。とくに東北や九州方面からの上りの便がないという。
取扱事業でノルマをしのいでいる営業マンはT氏だけではなかった。そのロス率が少しでも下がれば、会社全体にとっても大きなプラスになる。
そこで地区別の取扱い品目と車両サイズを改めて整理して、傭車先リストの充実を図ったが、これは大幅なロス率の改善には繋がらなかった。次善策として打ち出したのが自社の空き車両の利用である。
H社は一〇〇台近くの車両を自社で所有し、このところ休車が目立っている。それを取扱事業専属として貼り付けたらどうかというアイデアだった。
T氏を始めいつも傭車を前提に動いている営業マンたちには自社車両を使う習慣がなかった。強過ぎる配車係の影響もあったようだ。会議に同席していた専務や常務たちは「それだ!」と膝を叩いた。
もっとも、T氏のようなトップクラスの営業マンでないと車両を付けても持て余して、反対に休車を増やしてしまうことになる。
結局、T氏に五台、もう一人の営業マンに三台を割り当てることにした。
二人の営業マンはそれぞれ管轄する車両についてはドライバーの採用にまで権限と責任を持つ。事実上の社内一人親方、格好良く言えば個人社内カンパニー制であった。対象となった二人は当初は多少戸惑ったようだったが、元々力のある営業マンだけに、新体制から一月も経った頃には、車両を休ませることなく回転させて、売り上げを確保できるようになっていった。

「④サービス開発&DM営業の実施」は、飛び込み営業が苦手で自信を失っていた中堅の営業マンに担当させることにした。作ってみたいサービスがあるという本人の意思表示を尊重した。どのようなサービスを考えているのかを聞き出し、適切な商品名を考案し、ターゲット、料金体系、運営体制などを詰めた。
ようやく営業DMのゲラが刷り上がった時点であった。突然、本人が退職してしまった。なかなか報われない飛び込み営業を繰り返すことで心身共に疲れ果ててしまったようだ。これまでのコンサルティング経験から、今回のDMは彼の強力な武器になると確信していただけに残念であった。
ちなみに彼の後任のDM営業の担当者はいまだに見つかっていない。主人を失ったDMだけが後に残されている。

ドライバー名刺の活用法
「⑤ドライバー名刺の改善と挨拶の徹底」は、ドライバーの定着率と顧客満足度の向上を狙ったものである。
以前にH社が海上コンテナの輸送事業を立ち上げた時のコンサルティングで、ドライバー一人ひとりに名刺を持たせた。プロとしての自覚と誇りを持たせようという狙いだったが、これが営業ツールとしても有効であることが、リピート客の評判などから確認できていた。そこでPR効果をさらに強化するために、名刺のデザインを変更して三行のメモ欄を設けた。
同じ荷主の仕事を何度も手掛けているとドライバーも誰が輸送管理のキーマンなのか分かってくる。その人物が不在の時、あるいは新規の取引先や納品先に出入りした時に、一言メモを沿えて名刺を渡す。
「○○運送の○○です。本日は横浜港から雑貨品を運んできました。今後とも宜しくお願い申し上げます」といった具合である。その時に、挨拶をしっかり行う。これを徹底した。

「⑥売上管理から利益管理への移行」は、これまで売上ベースだった運送事業の予算管理を利益ベースに変更し、儲かっている仕事と儲かっていない仕事を明確に選別しようという狙いである。既述の通り、H社は一〇〇台近くの車両を持ちながらも車両回転率の管理ができていなかった。
営業マンはうるさい配車係を避けて、傭車を使った取扱事業で売り上げを作ろうとする傾向があった。その結果、管理コストをペイできないほどの薄利の仕事や逆ざやが発生することもあった。そこで管理会計の尺度を変えた。現状では車両別の原価計算がままならないため粗利ベースではあるが、利益で予算を管理することにした。同時にK社長は利益予算の五〇%以上を自社便で稼ぐように指示を出した。

こうしてK社長の下、いずれも一癖ある営業マンやスタッフたちが目線を合わせ、じっくり話し合い、何とか活路を見い出していった。
先日、久し振りにK社長とじっくり話す機会があった。社員の意識が少しずつ変わってきていることに手応えを感じているようであった。しかし、H社の課題は営業だけに留まらない。
ドライバーの確保を始め早急に取り掛からなければならない問題がまだまだ山積している。