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第150回 事例で学ぶ現場改善:『覚悟を決めた運送業2代目45歳』

創業者が裸一貫で大きくした運送会社が事業承継の時期を迎えていた。しかし、息子は2代目になる意欲と覚悟を欠いていた。創業メンバーの番頭役も、ふがいない幹部たちに愛想を尽かしてさじを投げてしまった。経営層の混乱に社員たちの不安は広がっていた。

モーレツ営業が限界に
実家の運送会社T社に勤め、専務という肩書きながら、ずっと現場で配車業務を担当してきたS氏が、ようやく会社を継ぐ覚悟を決めた。筆者は4年前にも、S氏と跡を継ぐのか否かの話し合いを持っている。しかし当時、S氏は41歳。遊び盛りと現実逃避で経営に携わることを避けたのであった。
S氏の実父で創業者のM社長は、息子が自分の意思で判断することを重視していた。いくら2代目とはいえ、意欲と能力のない者が会社を継ぐ時代では毛頭ないという考えで、本人に家業を継ぐ覚悟がない場合には、創業メンバーでもある副社長に後を託すことを真剣に考えていた。
T社の年商は単独で約30億円、グループ会社の売り上げを単純合計すると約80億円になる。
M社長が裸一貫で運送会社を興し、約半世紀かけてタクシー、バス、旅行、自動車整備、広告代理店に事業を広げた。それらのグループ会社5社の他に運送会社を2社買収して傘下に収めている。
M社長は典型的なワンマン経営者だが、全てに対して決してぶれない意思の強さを持っている。「これまでわが社は10年ごとに大きな節目を迎えてきた。いずれも会社が良くなるきっかけとなるような出来事が起きている」と筆者はM社長から何度か聞かされている。
節目とは例えば、優良企業との取引が始まったり、東名阪に拠点をつくったりしたことなどであった。そしてT社があらためてその節目を迎えた4年前に、われわれ日本ロジファクトリー(NLF)が経営指導に入ったのであった。
T社は不器用な会社である。マーケティングなど意に介さず、提案や3PLなどとも全く無縁で、M社長の号令の下に会社があれば飛び込むという、無鉄砲ともいえる営業活動をずっと続けてきた。そのために8人もの営業専任者を投入していた。売り上げ規模からは考えられない人数である。
T社の本社事務所の壁には、各営業担当者の予算達成率を日次で計算した「個人別売上達成表」が大きく張り出されている。予算が未達の場合はM社長の叱責が飛ぶ。続いて、M社長の秘書役を長年勤めてきた常務が、予算未達の理由と挽回の方法を本人に厳しく追及した。
M社の営業活動には二つだけタブーがあった。一つは車両を持たない倉庫会社や物流子会社の案件を例外として、下請け仕事はやらないということであった。もう一つは支払い条件である。支払いサイトが60日を超える案件と手形取引は、いくら好条件でも請けない決まりであった。M社長が過去に幾度となく資金繰りでピンチに追い込まれた経験がそのまま受注条件に反映されていた。
それ以外は〝もうかる、もうからない〟よりも、ライバルに〝勝つか、負けるか〟〝取るか、取られるか〟を最大の価値基準としていた。そんなT社を筆者は決して嫌いではなかった。むしろ、どこか好ましく感じていたのだが、非効率かつ無茶な経営であることには違いなかった。実際、M社長が社員を怒鳴りつけ、罵倒しながらハッパを掛ける営業スタイルは限界に来ていた。赤字に陥っていたのである。
まずはNLFのスタンダードな営業研修をT社に合う形にカスタマイズして、「営業実践会議」と呼ぶ研修会を定期的に開催することにした。ところが、いくら熱心に指導しても手応えがない。座学に慣れていないメンバーたちは、消化不良を起こしているようだった。
そこで実践を通じた指導に比重を移し、営業ターゲットとなる荷主企業をNLFから何社か紹介した。しかし、一向に案件を詰められない。それどころか、紹介した企業から筆者に連絡が入り、「何だT社の営業は! 仕事をもらおうという姿勢が全くない!」とお叱りを受けるほどであった。
筆者自身も仕事とはいえ、T社のメンバーとのやり取りで頭に来たことが何度かあった。年齢層やバックボーンはさまざまながら、いずれの営業担当者も頑固でくせ者、一筋縄にはいかない連中であった。
それでもM社長の信頼は裏切れない。「自由にやってくれ」と、われわれに全面的に任せてくれている。新しいテーマに取り掛かる前には必ずお伺いを立てるようにしていたが、いつも二つ返事でOKが出た。
あらためて営業実践会議に立ち返り、基本に忠実に一人一人こつこつと指導していくことにした。途中、2人の若手従業員が脱落していった。研修会では営業担当者がそれぞれ抱えている個別案件について具体的な対策を指導するのだが、日々の営業活動が満足にできていないと研修会に報告する案件自体がない。
その場合は営業担当者の日々の活動そのものが俎上に載せられて、一挙手一投足に口出しされることになる。そこに常務からの予算追求とM社長の罵倒が加わり、ついに逃げ出してしまったのである。結局、売り上げの数字はつくれないものの、M社長の経営スタイルに慣れている営業担当者だけが残った。

新入社員の活躍が転機に
営業実践会議は形骸化に向かっていた。次第に副社長、常務の出席頻度が落ちていった。
専務のS氏は当初から参加していなかった。他に仕事を抱えているという理由であったが、実際のところは責任を背負いたくないという姿勢に見えた。そんな状態で効果が上がるはずもない。T社の赤字脱却は遠かった。
転機はひょんなことから訪れた。一つは新人の加入である。脱落した若手2人を補充する形で新卒の営業担当が入社した。といっても一般入社ではなく、学生時代に好きなサッカーに入れ込み過ぎて、まともに就職活動もしなかったとのことで、遠縁に当たるM社長に相談が寄せられた身内であった。
当然ながら物流のことなど全く知らない。現場への遠慮もない。まっさらな状態で営業に回らせてみたところ、持ち前のガッツと行動力で案件を取ってくる。これに影響を受けて、すぐ上の先輩営業担当者も「これはまずい」と火が付いた。売り上げを急速に増やしていった。若い2人の成長をわれわれNLFも全面的にサポートした。
もう一つの転機は、グループ会社の営業担当を営業実践会議に参加させたことであった。
それぞれ事業内容は異なるものの、営業の基本を理解させるのに役立った。成功事例の共有もできるようになった。T社の営業担当者たちに「これまで知らなかったが、グループ会社は頑張っているんだな」というムードが広がった。
営業研修の効果はT社より先にグループ会社に表れた。各社とも採算の改善が進んだ。
そのことが良い刺激となって、T社の業績も少し遅れて伸びていった。その勢いに乗る形で配車にもメスを入れた。それまでM社では配車業務が特定のベテラン社員の聖域となっていて、M社長ですら腫れ物に触るように接していた。有望な案件があっても配車担当が〝うん〟と言わないと受託できない状態だった。それを改めるためにM社長が自ら「ノーと言わない配車をやれ」とげきを飛ばしたのであった。
こうしてT社は黒字化を果たすことができた。しかし、後継問題にはその後も大きな進展が見られなかった。そんなある日、グループ各社の幹部が集まる朝礼会で〝事件〟が起きた。議長役のT社副社長が幹部たちのふがいなさにさじを投げ、途中退席してしまったのである。「自分や常務からの指示待ちをいい加減に卒業したらどうだ! 他人から言われる前に幹部として自分で動け!」という怒りであった。
その後、副社長は朝礼会に顔を出さなくなった。議長役を代行することになった常務は頭を抱えた。「幹部が言い訳ばかりする」「できない理由を挙げて、やれるための方法を出さない」と愚痴に近い相談を筆者は受けるようになった。しかし、経営層の不協和音はM社長には報告されなかった。

「僕はもう逃げない」
それからしばらくして、意外な人物から筆者に電話が入った。S氏であった。肩書きはM社の専務であったが、普段は本社を空けていることが多い。本社から車で40分ほどの距離にある、傘下の運送会社D社で配車業務に就いていた。本社と違ってうるさ形がいないため居心地がいいのだろう。
そんなS氏が筆者に相談があるという。ただし、本社以外の場所がいいということだったので、日を改めてD社を訪れた。筆者に対してS氏は「このままでいいのか悩んでいる」と言った。何が〝このまま〟なのかを尋ねると、「継ぐこと」であると言う。
副社長不在で会社がぎくしゃくしていることを気に病んでいた。また、その数日前に開催されたグループの親睦会「40代事務職の会」の飲みの席で、S氏に対して苦言を呈したスタッフが数人いたことにも背中を押されたようであった。
本人曰く「今まで逃げていたが、こうなったらもう会社を継ぐことに正面から向き合わないといけないと思っている」。さらには「会社をつぶすことを誰よりも恐れている。
しかし、他人につぶされるくらいなら、自分がやるだけやってつぶれた方がいい」と言う。
覚悟ができていた。
そこで、今後の体制について2人で話し合った。これまでS氏は午後からD社に移動していたが、D社には中堅幹部を異動させて、S氏はT社の本社に常勤する。当面、S氏の役職は専務のままにするが、S氏に苦言を呈してきたスタッフ2人を直属の部下に置くことなどを決めた。
ただし、S氏に跡を継がせるかどうかは、M社長の判断次第であった。S氏が事前に筆者に相談したのもそのためだった。M社長とS氏は、親子とはいえ私生活でも直接会話することがほとんどない状態だった。話をする必要がある際は、グループの財務・経理を統括している母親を通じて伝言していた。
さすがに今回はS氏から直接、M社長に伝えるつもりだが、その前に筆者から一報を入れてほしいという。それは筋ではないだろうと感じたが、事情は察しがついたので、要望通り、まずは筆者からM社長に報告した。M社長はぶつぶつ言いながらも喜びを隠し切れない様子で筆者の報告を聞いていた。
それでも不安なのだろう。S氏がこれまで自分の〝根城〟にしてきたD社は、この機会にT社に吸収して退路を断ってほしいという考えであった。そして、S氏の未熟な点、至らぬ点を並べて、人の上に立つということが分かっていないと嘆いた。
そこで筆者は「社長、やはり帝王学は必要です。しばらく社長のそばにS専務を置いて、経営者として育てていくべきです。まずはこの件について、ご本人同士の話し合いの場を持ちましょう」と伝えると、ようやく大きくうなずいてくれたのであった。
成功した創業経営者は例外なく行動が早い。週明けの月曜日には社長室の真隣に専務の机が設置された。こうしてT社の事業承継が始まった。ずいぶんと回り道をしたが、自分で自分の道を選んだS氏を筆者はできる限りサポートしていくつもりだ。