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第370回「偉大なる母」

私事ではあるが、先日、7月13日に筆者の母が亡くなった。81歳。死因は食道癌の再発であった。
昨年12月に手術を行って一度は退院したものの、再び調子が悪くなり6月下旬に入院、その時点で肝臓と肺、食道の後部に癌が転移しており、心不全を起こしていた。
刻々と変わる、担当医から告げられる余命期間。退院後は余命1年と言われていたが診察を受けるたび3ヶ月、1ヶ月と短くなっていった。それでも最後は一人息子の筆者と嫁、孫2人に看取られ、痛みに苦しむ事なくこの世を去った。

偉大な母であった。鹿児島県生まれの母は高校卒業後、大阪に来て就職、結婚した。その後、4歳になったばかりの筆者は父親と生き別れとなり、母に女手一つで育てられた。
貧しくて幼稚園にも通う事が出来なかったが、筆者が小学校に入る頃には大阪万博での好景気を受けて母は奈良の旅館で仲居さんをして生計を立てたのであった。

筆者が小学校低学年までは母はその旅館に筆者を連れて住み込みで働いていたが、中学年時にはおんぼろの長屋を借りて住居を持つことが出来た。
母は1年中働いていたが、風邪や病気に一度もかかる事なく、仕事を「休む」事もなかった。夜遅く帰り、朝早く仕事に出る母は父親でもあり、贅沢は一切せず、子供の将来を考え、コツコツと貯金をしていた。そのお蔭で筆者は大学まで出してもらう事が出来たのである。

また母は和裁、洋裁が得意で小学校6年生まではお手製の服であった。母から愚痴を全く聞いた事がなく、弱音を吐いたところを見た事も一度もなかった。母は2時間ほどの睡眠でも「有難い」と言って居間に寝ていたが、布団など使わなかった。また少々、やんちゃだった筆者に対して「あれをしなさい」「これをしなさい」などと全く言わなかったが、何をしても「そうなの」であった。一切、叱る、褒める事をしなかった母でもあった。

また今で言うシングルマザーであった母は交際していた男性を自宅に招くこともあった。招くことに対して事前相談もなく、相手の紹介もなく、ただこたつで夕食を共にするのであった。

日当給の母は仕事を休む事は出来なかった。また福利厚生制度などもなかったため、仲居さんを引退する数年前に国民健康保険に加入した。
毎日、毎日、生きる事に必死だった。今でも母の働きぶりを筆者は越えられていない。

産んでくれてありがとう!今度、生まれてくる時も母、青木弘子の子供として生まれてきたい。