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第376回「先祖供養はやはり大切」

筆者は決して信仰心の強い人間ではないが先祖供養はやはり大切であると痛感するのである。恐らく今まで多くの事柄にご先祖さまが見守ってくれていたのであろうが、厄年の時、前厄、本厄、後厄の年は良いことがなかった。
筆者にとっては最悪とも言える事柄が「これでもか、これでもか」と色々重なった。その時、藁をもつかむ気持ちで墓参りに行った。“苦しい時のご先祖頼み”とはよく言ったものだ。それから徐々に運が開けていったように思う。それ以来、思いがけない時間が出来ると、母方、友人、妻方などの墓参りに行くようにしている。しかし最近、筆者は全ての先祖供養をしていたと思っていたが、ふとした出来事で失念していた供養が分かったのである。それは父方の供養であった。

筆者は4歳の時に父親と生き別れており、その後、大学卒業時、戸籍謄本を片手に居場所を突き止め、本人に会ったことがある。それから約27年、一切会うことはなかった。僅かに1、2回、連絡を取ったことがあっただけである。

母は苦労して女手一つで私を育ててくれた。当時は慰謝料を払ってもらうことは当り前ではなく、勿論、養育費を渡されることもなく、また、卒業時や誕生日にも父からは何の連絡もなかった。筆者にとってそんな父親は、母親を苦しめ、我々に貧しい生活を強いた憎しみの対象である。

ちょうど1年前に父が亡くなり、そして3ヶ月前に母が亡くなることとなったが、筆者は母親の供養の事ばかりを考えていた。それが、ちょっとした出来事があったため、子供は親を選べない、親も子供を選べない、血の繋がりとは因果なものであることを知らされたのである。

何一つ良い思い出のない父は亡くなる前に筆者に会いたがっていたという。もう残り僅かな命の時にも「会いたがっている」と世話をしてくれている、父が再婚した女性の親戚から連絡が入ったが、筆者には、今さらという気持ちと憎しみの対象であることには変わらなかった。それでも時間が経ち、父の存在を認め、供養することを決めた。偶然にも供養を決めたその日が一周忌であった。偶然でなく必然だったのである。

亡くなった父の筆者への想いが強かっただけに供養をしないといけない。あの世に逝ってしまっても魂だけは残っているようだ。
先祖供養は自分のルーツを遡ってみなければならない。また恩送りはいつでも出来るのだから・・・。